日本歴史地名大系 「立山書院跡」の解説 立山書院跡たてやましよいんあと 長崎県:長崎市長崎町東上町立山書院跡[現在地名]長崎市上町江戸時代、東上(ひがしうわ)町に置かれた私塾の跡。長崎聖堂(中島聖堂)の前身にあたる。正保四年(一六四七)向井元升が長崎奉行の許可を得て東上町に開設した。「寛宝日記」延宝五年(一六七七)条に「立山御屋鋪御書院立申候」とある。同院は敷地が一六一坪で、聖堂・学寮・住宅などが置かれた私塾として多数の人々を集めたという。肥前神崎(かんざき)生れの元升は長崎に移住して天文学・本草学を学び、医学・儒学にも通じていたとされる。寛文三年(一六六三)の大火で焼失した書院を再建したのは長崎奉行牛込忠左衛門勝登で、元升の京都移住後(その子の元成が継ぐ)は南部草寿を塾主に招き、儒学を奨励、西山忠英・今井弘済・杏一洞・福山徳潤・南部南山らを輩出した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by