東上町(読み)ひがしかみまち

日本歴史地名大系 「東上町」の解説

東上町
ひがしかみまち

[現在地名]城端町 東上町

善徳ぜんとく寺門前の西上町の東に位置する。南には五箇山ごかやまへの道に通じる宗林寺そうりんじ町があり、宗林寺町の東側にいけ川が流れる。西上町とともに最も古くから開町し、天正元年(一五七三)井口いのくち(現井口村)の十日市、山田やまだ(現城端町・福光町)四日市が移転して上町に開かれた(「城端町旧記」石川県金沢市立図書館蔵)。延宝九年(一六八一)の六斎市の規則では、東町は十日市を担当し、それぞれ二名の四十物見世頭と唐人見世頭を置いて運営した。


東上町
ひがしうえまち

[現在地名]松前郡松前町字豊岡とよおか

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。近世は松前城下の一町。大松前おおまつまえ川と伝治沢でんじさわ(大泊川)に挟まれた海岸段丘上にあり、段丘の北側は馬形上まかどうえ町、南は東中ひがしなか町、東は東新ひがししん町。馬形まかどを冠する場合もあった(天保一四年「御触留書」市立函館図書館蔵)。享保二年(一七一七)の「松前蝦夷記」に東上町はみえない。町内に浄土宗正行しようぎよう寺がある。文化(一八〇四―一八)頃の松前分間絵図によると大坂から同寺門前まで一二五間。同寺東側が家臣南条郡平屋敷。文化六年には東新町と合せて家数一七六・人数五五六(「村鑑下組帳」松前町蔵)


東上町
ひがしうわまち

[現在地名]長崎市上町・玉園町たまぞのまち

東中ひがしなか町の北、岩原いわはら川右岸にある長崎そと町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ東西に形成され、西は西上町。キリシタン一二ヵ寺の一つとりはね屋敷があったと伝える。はじめ上町のうちで、寛文一二年(一六七二)大町の分割策に伴い東上町・西上町の二町に分立(華蛮交易明細記)。同年の間数二八八間・実箇所数六七・諸役御免箇所三(長崎県史)。正徳町絵図では両側町で東上町本町として長さ一四七間余とあり、小路・堀により五区画に屋敷が分れる。文化五年(一八〇八)の長崎市中明細帳では町の縦の長さ一四七間一尺・幅平均三間三尺余で坪数三千九三九坪余(地子銀九三八匁九分)、箇所数六九、竈数一四七・人家一七三、人別四三一、武具蔵・長崎会所・肥前唐津蔵屋敷、醤油酢造高一〇石、石橋一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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