立花家花橘(読み)タチバナヤ カキツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「立花家花橘」の解説

立花家 花橘(2代目)
タチバナヤ カキツ


職業
落語家

本名
菱川 一太郎

別名
前名=笑福亭 福二,林家 正六,桂 一奴

生年月日
明治17年

出生地
徳島

経歴
鰻屋菱忠の息子。明治32年大阪へ出て、初め素人仁輪加(にわか)に加わるが、のち落語に転じて34年8月第二此花館で初高座を踏む。初代笑福亭福松に入門して福二を名乗り、その後5代目林家正三門で2代目正六となる。さらに2代目桂文団治門で桂一奴と改名。この後上京し、約10年間三遊派に属して修行する。この間大正1年立花家橘之助門下で女流音曲師花橘の2代目を襲名。3年に帰阪以降は三友派に属し、花月三友合同で吉本の所属となる。のち吉本を離れて戦後まで活躍。明瞭なわかりやすい口調で大正時代には多くのレコードを吹き込み人気を得る。レコードには滑稽噺や芝居噺・艶笑噺・新作などネタ数百数十種が残されている。「七段目」「お玉牛」「蛸芝居」など芝居がかったものを得意とした。戦後の戎橋松竹時代は高座の傍ら若手の指導にも力を入れ、ネタの伝承に大きく貢献した。

没年月日
昭和26年 9月23日 (1951年)


立花家 花橘(初代)
タチバナヤ カキツ


職業
寄席音曲師・落語家*

本名
加藤 よね

生年月日
明治14年 2月

経歴
明治期に活躍。明治18年、数え年5歳で柳家枝女子を名乗り、寄席の高座へ出て音曲手踊りで人気をとる。一時は下谷芸者に出たが、29年立花家橘之助の門で花橘と名のって高座に復帰。26歳で惜しまれながら夭折。息子が一人あり、昭和初期に6代春風亭柳枝門下で噺家となり、柳橘と名乗った。

没年月日
明治39年 9月7(16とも)日 (1906年)

家族
父=初代春風亭柳条

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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