日本歴史地名大系 「竹万村」の解説 竹万村ちくまむら 兵庫県:赤穂郡上郡町竹万村[現在地名]上郡町竹万大持(だいもち)村の南、千種(ちくさ)川右岸平野と後背丘陵に立地する。主集落は安室(やすむろ)川下流部の平野にあり、その南の山間部に山田(やまだ)集落がある。山田峠越で山陽道へ通じる道があり、峠には地蔵や塞の神が祀られている。高田宿(たかたしゆく)村から千種川を渡り、安室川沿いに山野里(やまのさと)村へ至る古山陽道が通る。正保郷帳に村名がみえ、田高五九三石余・畠高一四二石余。天保郷帳では高七九一石余。 竹万村ちくまむら 兵庫県:龍野市竹万村[現在地名]龍野市揖西町竹万(いつさいちようちくま)北山(きたやま)村の西に位置し、北は構(かまえ)村、南は龍子(りゆうこ)村。村の中央を古子(ふるこ)川が南流し、龍子村境で小犬丸(こいぬまる)川と合流する。揖西郡に属する。慶長国絵図に村名がみえる。領主の変遷は北龍野村と同じ。寛永一三年(一六三六)の龍野領村々高辻帳(八瀬家文書)では池田輝政による内検地高五一一石余、高四二三石余。正保郷帳では田方三九一石余・畑方三一石余。村高は幕末まで変わらない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by