千種川(読み)ちくさがわ

日本歴史地名大系 「千種川」の解説

千種川
ちくさがわ

宍粟郡千種町の三室みむろ(一三五八メートル)南面を源とし、六七・六キロをほぼ南に向かって蛇行して当市南端で播磨灘に注ぐ。二級河川。流域面積七五二平方キロ、市内の流路一九キロ、河口幅三〇〇メートル。佐用南光なんこう町で志文しぶみ川、同郡上月こうづき町で佐用川、赤穂上郡かみごおり町で鞍居くらい川、市域に入って矢野やの川などが合流する。大治五年(一一三〇)三月一三日の東大寺諸庄文書并絵図目録(東大寺文書)石塩生いしおい庄の四至として東は「赤穂川」とみえる。江戸時代には千種川(宝永三年指出帳)のほか、大川(松平輝興時代絵図・「赤穂郡志」)熊見くまみ(天保九年「巡見使道筋村々明細帳」花岳寺文書)などともよばれた。水源の千種は古くから千種砂鉄の産地で(「蔭涼軒日録」長享二年八月二二日条など)、大量の土砂が千種川に流出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千種川」の意味・わかりやすい解説

千種川
ちくさがわ

兵庫県南西部を南流する川。延長67.6キロメートル。兵庫・岡山県境の江浪(えなみ)峠に源を発して西播山地(せいばん)を侵食し、佐用(さよう)、上郡(かみごおり)などの小山間盆地を潤し、下流で赤穂(あこう)平野を形成して瀬戸内海に注ぐ。かつては佐用町久崎(くざき)まで高瀬舟上下し、上流から木材、木炭が、下流から塩が運ばれた。下流の三角州は全国に知られた塩田地域であったが、現在では工場や住宅地に変わりつつある。

[大槻 守]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千種川」の意味・わかりやすい解説

千種川
ちくさがわ

兵庫県南西部を流れる川。鳥取県境にある江浪峠 (1098m) 付近に発し,南流して播磨灘に注ぐ。全長 68km。中流域の佐用町で佐用川,上郡町で鞍居川を合わせ,河口に赤穂三角州を形成。三角州上のかつての塩田跡に工場が立地している。河口付近以外の流域は山地が多く,開発が遅れたため,水質のよい点では県下随一。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典・日本の観光資源 「千種川」の解説

千種川

(兵庫県宍粟市)
名水百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「千種川」の解説

千種(ちくさ)川

兵庫県西部を流れる二級河川。1985年、環境庁により名水百選のひとつに選定された。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の千種川の言及

【播磨国】より

…これによって高砂地方の塩も日本海側へと運ばれるようになった。千種川では中世以来佐用郡上月(こうづき),久崎から河口の中村(赤穂)までの高瀬舟の運航がみられ,揖保川では山崎から河口網干(あぼし)までの運航が1621年に始まっている。 木綿,塩などの商品生産が展開するにつれて,それを対象とする諸藩の統制,藩専売制が始まる。…

※「千種川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android