日本歴史地名大系 「笠松村」の解説
笠松村
かさまつむら
木曾川が西流から北流へ向きを変える地点の右岸に位置し、岐阜町を発して
笠松村
かさまつむら
とみえ、室町時代には参宮路が通っていた。天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写には「一 弐斗五升 氏晴 かさ松」とあり、内宮へ供米二斗五升を供進している。
文禄検地帳を転記したものと思われる伊勢国中御検地高帳に笠松とみえ、石高二八九・六六石とある。元和五年(一六一九)和歌山藩白子領となり、小船江組に属した。慶安郷帳(明大刑博蔵)には田一六・七八六石、畑一七八・七九四石とあり、新田・塩浜・旱損所・塩入所があった。新田は天和年中(一六八一―八四)以前に開発された
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報