第五琦(読み)だいごき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「第五琦」の意味・わかりやすい解説

第五琦
だいごき

生没年不詳。中国、唐中期の政治家。字(あざな)は禹珪(うけい)。長安の人。富国強兵の術をもって自任。信安郡(浙江(せっこう)省)太守の賀蘭進明(がらんしんめい)に重用され、安史の乱に彼を助けて功をあげ、第6代皇帝玄宗(在位712~756)に軍国の財務を上言し、江淮(こうわい)租庸使、山南等五道度支使を経て最初の塩鉄使に任じ、塩の専売を実施した。のち、戸部侍郎として天下の財務を統轄し、759年に宰相となった。二度にわたる貨幣の改悪は物価の上昇を招き、死者が続出、内外から非難されて忠州(四川(しせん)省)長史におとされ、さらに賄賂(わいろ)を受けたと夷(い)州(貴州省)に流された。吐蕃(とばん)の京師(けいし)侵入に際しふたたび広範な財務使職を兼任し、軍費を調達、扶風(ふふう)郡公を賜った。宦官(かんがん)魚朝恩が誅死(ちゅうし)を受けると連座して閑職に退けられ、徳宗の任用を待たずに病にかかり卒(しゅつ)した。

[松井秀一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「第五琦」の意味・わかりやすい解説

第五琦
だいごき
Di-wu qi; Ti-wu ch`i

中国,唐中期の官僚。長安の人。安史の乱では山東方面で反乱軍を破って失地を回復する功を立てたが,彼の本領は財務官僚としての活躍にあった。安史の乱中に江淮地方からの軍費調達や塩専売を実施して財政を一手に握った。その政策の一つとして行なった貨幣改鋳が物価の暴騰を引起したので,一時地方官に左遷されたが,再び中央に戻り,永泰1 (765) 年に京兆府で,のちの両税法起源となった税法を立てた。時の権勢家の宦官魚朝恩の罪に連座してまた地方官に左遷され,やがて病死した。

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世界大百科事典(旧版)内の第五琦の言及

【塩法】より

…唐の中期,再び塩の専売が本格化する。755年(天宝14)の安史の乱による軍費調達のため,河北で顔真卿が食塩の官売をはじめ,その経験をふまえて758年(乾元1),塩鉄使の第五琦(だいごき)が解塩と井塩,ついで海塩の専売制を断行した。産塩地には榷塩院(かくえんいん)を置き,亭戸,畦(けい)戸などと呼ばれる生産者を隷属させて,全生産を管理し,できた塩に原価の数十倍から100倍に及ぶ専売益金をかけて売りさばいた。…

【劉晏】より

安史の乱が勃発して国家財政が窮乏するや,財政担当の大臣に任じられ,塩鉄使,転運使といった使職を兼ねて,財政改革を行った。第五琦(729‐799)によって創設された塩の専売法を改良し,塩利の一部を運送の費用に充当するなどして,東南地方の米を国都に運ぶ漕運法を整備した。その結果,専売収入が国家財政の半ばを占めるまでに増大し,つぎの宋代にうけつがれた。…

※「第五琦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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