日本歴史地名大系 「笹目村」の解説 笹目村ささめむら 新潟県:中蒲原郡村松町笹目村[現在地名]村松町笹目南に権現(ごんげん)山(六三〇・五メートル)、北に不動堂(ふどうどう)山(五五七・四メートル)があり、その谷間の早出(はいで)川の河岸段丘上に立地。東は小面谷(こつらだに)村、西は横渡(よこわたり)村。字下平(しもだいら)にある赤城(あかぎ)神社は、関東系の移住者により勧請されたと伝え、当村は川内組の上杉川(かみすぎかわ)村とともにこれら移住者による開発とみられる。明暦二年(一六五六)の検地帳(伊藤家文書)によると、畑は数十人が所有するが、田は又八郎・勘助・仁右衛門・藤蔵の四軒が個人で所有するほかは、村中の人々が共同で一反の田を所有する。 笹目村ささめむら 岡山県:御津郡加茂川町笹目村[現在地名]加茂川町笹目備中国との境界に位置し、豊岡(とよおか)川支流の笹目川上流部の谷間にある。東・南は尾原(おばら)村、西は笹目峠で備中国上房(じようぼう)郡垣(かき)村(現有漢町)に通ずる。寛永備前国絵図には篠目村とみえ、高一三五石余。「備陽記」では田畠一七町一反余、家数三九・人数一五六。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば直高三七三石余は家臣津田氏給地。二口高二一六石余、残高一七四石余、田方八町二反余・一二一石余、畑方八町九反余・五三石余、家数二四・人数一〇三、牛一一、池三(樋守給一斗余)、百姓自林一四町四反余、猟師鉄炮一。 笹目村ささめむら 茨城県:日立市笹目村[現在地名]日立市入四間(いりしけん)町標高四〇〇―四三〇メートルの準平原である多賀山地丘陵上に位置し、南は入四間村。上笹目(かみささめ)遺跡・笹目ネバ山遺跡より石刃やサイドスクレーパーなど先土器時代の石器が検出された。寛永二一年(一六四四)の御知行割郷帳に「笹目村」と記され、「新編常陸国誌」によると明和元年(一七六四)の戸数一五・人口六二、「水府志料」によると村の東西一三町・南北一七町余、天保二年(一八三一)の笹目村軒別御案内順帳(関勝馬家文書)には戸数一三・人口七三とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by