箱田六輔(読み)ハコダ ロクスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「箱田六輔」の解説

箱田 六輔
ハコダ ロクスケ


肩書
玄洋社社長

旧名・旧姓
旧姓=青木

生年月日
嘉永3年5月(1850年)

出生地
筑前国福岡(福岡県)

経歴
福岡藩士の次男に生れ、のち箱田氏の養子となる。明治元年戊辰戦争に参加、維新後征韓論に共鳴したが、佐賀の乱に際し鎮撫隊を組織して従軍。高場乱の塾に学ぶ。8年頭山満、平岡浩太郎らと矯志社、強忍社、堅志社を組織。翌9年萩の乱に参加し投獄される。釈放後、12年頭山らと向陽社を組織、初代社長となり、自民民権運動に参加。また筑前共愛会会長となり、愛国社国会期成同盟などの全国的活動分野でも指導的役割をつとめた。14年向陽社を玄洋社と改めた際、一時平岡に社長を譲ったが、平岡が退いたのち再び社長に就任した。

没年月日
明治21年1月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「箱田六輔」の意味・わかりやすい解説

箱田六輔
はこだろくすけ
(1850―1888)

自由民権家。福岡藩士。嘉永(かえい)3年5月青木善平の二男として生まれ、箱田家の養子となる。戊辰(ぼしん)戦争で奥羽に従軍し軍功をあげ、帰藩後就義(しゅうぎ)隊を組織し斥候(せっこう)器械方となる。1870年(明治3)法に触れて流刑となったが8か月で赦免。75年頭山満(とうやまみつる)らと士族結社矯志社(きょうししゃ)を創立。翌年萩(はぎ)の乱に呼応挙兵を企てて下獄する。79年向陽社(こうようしゃ)を設立、社長となり民権振暢(しんちょう)論・国権回復論を鼓吹。翌年筑前(ちくぜん)共愛会代表として南川正雄(みながわまさお)と国会開設建白書を元老院に呈出する。81年向陽社を玄洋社(げんようしゃ)と改称し、平岡浩太郎に次いで社長となり、九州改進党への加盟に努力したが果たさず、明治21年1月19日急逝(自殺説もある)。

[松尾章一]

『玄洋社社史編纂会編・刊『玄洋社社史』(1917/復刻版・1977・近代史料出版会)』『石瀧豊美著『玄洋社発掘』(1981・西日本新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「箱田六輔」の解説

箱田六輔

没年:明治21.1.19(1888)
生年:嘉永3.5(1850)
明治期,玄洋社社長。筑前福岡藩出身。戊辰戦争に出征後,藩軍制改革を志したが反対派に制せられ一旦拘禁。明治7(1874)年,佐賀の乱に際して福岡臨時鎮撫隊半隊長,翌8年,頭山満,進藤喜平太らと矯志社を組織し,翌年,萩の乱への呼応に失敗,拘禁された。西南戦争(1877)後に出獄,頭山らと向陽社を設立,自由民権運動に取り組み,12年の愛国社第2回大会に出席,さらに筑前共愛会の代表となり条約改正・国会開設の請願を元老院に奉呈するなど活躍。14年,向陽社を玄洋社と改称,次第に国権確立運動に力点を置くに至った。39歳で急逝した。<参考文献>黒竜会編『西南記伝』下の2,『玄洋社社史』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「箱田六輔」の解説

箱田六輔 はこだ-ろくすけ

1850-1888 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)3年5月生まれ。もと筑前(ちくぜん)福岡藩士。維新後,萩(はぎ)の乱に呼応して投獄された。明治12年頭山満(とうやま-みつる)らと向陽社(のち玄洋社)を設立し初代社長。元老院に国会開設,条約改正を請願するなど国権論者として民権運動をすすめた。明治21年1月19日死去。39歳。本姓は青木。通称は円三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の箱田六輔の言及

【玄洋社】より

…明治維新後,没落した旧福岡藩士中の不平分子は専制政府打倒を唱え,各地の不平士族の武力蜂起への同調を企てる一方,板垣退助の立志社にならって民権伸張を論じていた。1876年の萩の乱への参加計画が失敗し,翌年の西南戦争に応じた挙兵も鎮圧されると,彼らは箱田六輔,平岡浩太郎,頭山満らを中心に79年向陽社を設立し,愛国社,のちに国会期成同盟の一員として藩閥政府を攻撃し国会開設請願運動を行った。81年向陽社は玄洋社と改称,平岡が社長となり,〈皇室を敬戴す可し 本国を愛重す可し 人民の権利を固守す可し〉との〈憲則〉を制定した。…

【進藤喜平太】より

…福岡藩士。1869年(明治2)箱田六輔らと就義隊を組織して福岡藩兵制改革を唱えたときから頭角をあらわし,75年武部小四郎,頭山満らと矯志社を結成して自由民権運動に参加。81年玄洋社を結成し,箱田六輔の死後社長となり,〈九州侍所の別当〉と称された。…

※「箱田六輔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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