日本歴史地名大系 「篠坂村」の解説
篠坂村
しのざかむら
智頭宿の東方に位置し、千代川の右岸、智頭街道沿いに集落がある。枝村に土尾があり、土地の人は「チチオ」という。同所はもと
藩政期の拝領高は四三石余。天明六年(一七八六)の智頭郡下札帳(石谷家文書)によると朱高四七石余、毛付高七六石余、本免六ツ一分、同年の物成高四一石余、ほかに藪役銀四分五厘・川役米一斗五升が課されていた。
篠坂村
しのさかむら
- 岡山県:笠岡市
- 篠坂村
元和五年(一六一九)より備後福山藩領、元禄一二年(一六九九)からは幕府領となり、文政一〇年(一八二七)以降は三卿の一橋領であったと考えられる。
篠坂村
しのざかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報