朝日日本歴史人物事典 「篠塚文三郎」の解説
篠塚文三郎(初代)
生年:生年不詳
3代目中村歌右衛門に抜擢された,江戸後期京都の劇場振付師。京舞篠塚流の祖。のちに中村梅扇,篠塚梅扇,梅翁と称した。「梅」は歌右衛門の俳名梅玉の一字御免。京都亀谷座振付師亀谷文三の子と伝える。篠塚流を築いたのは文化中ごろで,佐渡嶋流や志賀山流など舞踊の古い流派の長所を取り入れ,幸若舞や能楽の型も応用した。その後,振付師として頭角を現し,天保の初めには大坂の初代山村友五郎と対にうたわれた。だが,明治期の3代目家元文三の時代になると,井上流の台頭もあって,保守的な篠塚流の舞は衰微した。<参考文献>秋葉芳美「京舞篠塚の流祖篠塚梅扇と略系譜」(『上方』101号)
(丸茂祐佳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報