篠塚文三郎(読み)しのづか・ぶんざぶろう

朝日日本歴史人物事典 「篠塚文三郎」の解説

篠塚文三郎(初代)

没年弘化2.9(1845)
生年:生年不詳
3代目中村歌右衛門に抜擢された,江戸後期京都の劇場振付師。京舞篠塚流の祖。のちに中村梅扇,篠塚梅扇,梅翁と称した。「梅」は歌右衛門の俳名梅玉の一字御免。京都亀谷座振付師亀谷文三の子と伝える。篠塚流を築いたのは文化中ごろで,佐渡嶋流や志賀山流など舞踊の古い流派の長所を取り入れ,幸若舞や能楽の型も応用した。その後,振付師として頭角現し,天保の初めには大坂の初代山村友五郎と対にうたわれた。だが,明治期の3代目家元文三の時代になると,井上流台頭もあって,保守的な篠塚流の舞は衰微した。<参考文献>秋葉芳美「京舞篠塚の流祖篠塚梅扇と略系譜」(『上方』101号)

(丸茂祐佳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「篠塚文三郎」の解説

篠塚文三郎(初代) しのづか-ぶんざぶろう

?-1845 江戸時代後期の舞踊家,振付師。
文化ごろ,佐渡島流,志賀山流,幸若舞などをとりいれた京舞篠塚流をひらき,大坂の山村舞とならび称される。3代中村歌右衛門にとりたてられ,篠塚梅扇(のち梅翁)の名で京坂で劇場振り付けをつとめた。弘化(こうか)2年9月死去。

篠塚文三郎(3代) しのづか-ぶんざぶろう

?-1886 幕末-明治時代の舞踊家,振付師。
2代篠塚文三郎の子。慶応ごろ3代をつぐ。劇場振り付けにたずさわる一方,花街の師匠もかねる。のち篠塚流は新興の井上流に押されて衰退した。明治19年3月死去。通称は篠塚文三。

篠塚文三郎(2代) しのづか-ぶんざぶろう

?-? 江戸時代後期の舞踊家,振付師。
初代篠塚文三郎の子。天保(てんぽう)11年(1840)2代をつぐ。劇場振り付けをかねたが,のち京舞篠塚流の弟子育成にあたった。前名は文二,文三。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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