日本歴史地名大系 「篠葉村」の解説 篠葉村しのはむら 埼玉県:草加市篠葉村[現在地名]草加市弁天町(べんてんちよう)中曾根(なかそね)村の南西にあり、東は古綾瀬(ふるあやせ)川を隔てて埼玉郡青柳(あおやぎ)村、南は宿篠葉(しゆくしのは)村。かつては宿篠葉村と一村で、慶長年間(一五九六―一六一五)日光道中開削の際二村に分れたと伝える(風土記稿)。古綾瀬川の自然堤防である微高地と後背低湿地とからなり、低地の宮沼(みやぬま)・柳戸呂(やなぎとろ)は沼池湿原、微高地の男衾(おぶすま)・会野谷(あいのや)に集落がある。宮沼伝左衛門覚書(関根家文書)によれば、天文(一五三二―五五)・永禄(一五五八―七〇)頃からの百姓には退転した者が多く、開発の時期は不明。 篠葉村ささばむら 高知県:高岡郡中土佐町篠葉村[現在地名]中土佐町上(かみ)ノ加江(かえ)村名は「笹場」「笹葉」とも書く。小草(こぐさ)村の南にあり、火打(ひうち)ヶ森(もり)の東の山地に発する笹場川に沿って開けた小農村。東は海に面する。産土神の稲荷神社に「奉造立稲荷大明神曾我大明神大檀那源孫佐竹下総守□□延徳三辛亥十一月十六日」と記した棟札があったといわれ(蠧簡集木屑)、延徳三年(一四九一)には久礼(くれ)の佐竹氏が篠葉まで勢力を伸ばしていたことがわかる。天正一六年(一五八八)の上賀江村地検帳に小村として篠葉村がみえ、佐竹彦次郎分で、地積一九町九反余、ヤシキ二四筆。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報