籠手田安定(読み)コテダ ヤスサダ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「籠手田安定」の解説

籠手田 安定
コテダ ヤスサダ


肩書
貴院議員

別名
前名=桑田 源之丞(クワタ ゲンノジョウ)

生年月日
天保11年3月21日(1840年)

出身地
肥前国平戸村西の久保

経歴
文武、特に剣に長じ、文久元年平戸藩主松浦詮に近習、慶応3年主命で上洛王政復古動静偵察。明治元年大津県判事試補、次いで判事、2年大参事、6年滋賀県参事、8年権令、11年県令。17年元老院議官、18年島根県令、同県知事、新潟県知事、滋賀県知事を歴任、“良二千石”の称を得たが、30年退官。貴院議員、錦鶏間祗候となり、男爵となった。

受賞
勲一等

没年月日
明治33年4月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「籠手田安定」の解説

籠手田安定

没年:明治32.3.30(1899)
生年:天保11.3.21(1840.4.23)
明治期の地方行政官。平戸藩士桑田安親の長男として肥前国北松浦郡平戸村(長崎県平戸市)に生まれる。広太郎,源之丞とも。明治6(1873)年ごろ約300年ぶりに籠手田姓に復す。幕末には藩の京都探索掛として活動。明治1年大津県判事試補となり,2年大参事,8年滋賀県権令,11年県令と滋賀県政を担当。松田道之前県令とは異なる現実重視派で勧業・教育に力を入れた。17年元老院議官,18年から島根,新潟,滋賀の知事を歴任。30年貴族院議員。男爵。剣道を好み山岡鉄舟に師事した。<参考文献>鉅鹿敏子『県令籠手田安定』

(牧原憲夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「籠手田安定」の解説

籠手田安定 こてだ-やすさだ

1840-1899 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)11年3月21日生まれ。肥前平戸藩(長崎県)藩主松浦詮(まつら-あきら)の近習をつとめる。維新後は滋賀県令をへて元老院議官。のち島根,新潟,滋賀の県知事を歴任。剣を山岡鉄舟にまなび,免許をえた。貴族院議員。男爵。明治32年3月30日死去。60歳。旧名は桑田源之丞。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android