20世紀日本人名事典 「米井源治郎」の解説
米井 源治郎
ヨネイ ゲンジロウ
- 生年
- 文久1年9月16日(1861年)
- 没年
- 大正8(1919)年7月20日
- 出生地
- 美作国苫田郡高倉村(岡山県津山市)
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾〔明治20年〕卒
- 経歴
- 豪農の家に生まれる。明治20年慶応義塾を卒業ののち食料品輸入販売業の明治屋に勤務し、又従兄弟で同社の創業者磯野計の片腕として活躍。計の没後はその遺児である菊の後見人を務め、36年に同社を合名会社に改組して社長となった。40年実業家岩崎久弥の援助を受けて買収した横浜のジャパン・ブルワリーを元に麒麟麦酒株式会社を設立し専務取締役に就任、明治屋を専売店として販売拡充を図った。大正6年磯野商会を受け継いで米井商会に改組し、鉄・機械の輸出入業及び請負業を経営。また、桜セメントや日本硝子工業などにも関係した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報