米山寺経塚群(読み)べいさんじきようづかぐん

日本歴史地名大系 「米山寺経塚群」の解説

米山寺経塚群
べいさんじきようづかぐん

[現在地名]須賀川市西川

釈迦堂しやかどう川の北岸丘陵南端に立地する平安時代末期の経塚群。国指定史跡。現在の日枝神社裏手一帯に造営されたもので、社殿の真裏の小丘陵上に一号・二号・四号・五号・六号、その西側に三号・七号・八号・九号・一〇号の一〇基確認されている。一―三号経塚は明治一七年(一八八四)に、残りは昭和五一年(一九七六)の調査で確認された。一号経塚は直径五メートルで、石室内から銅経筒・陶製甕・紙本経一一巻・短刀鉄鏃出土。紙本経は法華経と無量寿経の二種であったが、関東大震災で焼失。三号経塚は直径六メートル・高さ約一メートル、石室内から陶製外筒・銅経筒・草花文鏡短刀・鉄鏃が出土。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「米山寺経塚群」の解説

べいさんじきょうづかぐん【米山寺経塚群】


福島県須賀川市西川にある平安時代末期の経塚遺跡。須賀川市の市街地西北方にある丘陵上、日枝神社境内に所在する。1884年(明治17)に神社本殿を建て直す工事の際に発掘され、10基の経塚と「承安元年」(1171年)の記年銘のある経筒などが出土した。遺跡はそのまま保存され、1937年(昭和12)に国指定史跡となった。1976年(昭和51)の発掘調査によって、土盛りや葺石(ふきいし)が確認され、須恵器(すえき)片の出土のほか、丘陵南斜面に3ヵ所の建物跡とみられる造成面が発見され、外周の溝や石垣も検出された。翌年、これらを含めた約1万m2が追加指定された。JR東北本線須賀川駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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