米川暉寿(読み)ヨネカワ テルジュ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「米川暉寿」の解説

米川 暉寿
ヨネカワ テルジュ


職業
地歌箏曲

本名
米川

生年月日
明治2年 10月17日

出身地
岡山県 高梁市

経歴
幼時失明、葛原勾当門下の福原千代寿、乗藤浪速門下の笹川潔寿に学び、暉寿(照寿)を名乗った。のち斉藤芳之都に入門実弟の米川正夫方に寄宿して東京で教授し、静岡群馬などにも出張教授を行なった。

没年月日
昭和21年 4月6日 (1946年)

家族
弟=米川 琴翁(地歌箏曲家),米川 正夫(ロシア文学者),妹=米川 文子(生田流箏曲家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「米川暉寿」の解説

米川 暉寿
ヨネカワ テルジュ

明治〜昭和期の地唄箏曲家



生年
明治2年10月17日(1869年)

没年
昭和21(1946)年4月6日

出身地
岡山県高梁市

本名
米川 貞

経歴
幼時に失明、葛原勾当門下の福原千代寿、乗藤浪速門下の笹川潔寿に学び、暉寿(照寿)を名乗った。のち斉藤芳之都に入門、実弟の米川正夫方に寄宿して東京で教授し、静岡、群馬などにも出張教授を行なった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米川暉寿」の解説

米川暉寿 よねかわ-てるじゅ

1869-1946 明治-昭和時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
明治2年10月17日生まれ。米川琴翁,米川文子の姉。幼時に失明し,はじめ笹川潔寿に,のち斎藤芳之都(よしいち)に師事。弟の米川正夫宅を拠点として東京でも門人育成,各地への出張教授もおこなった。昭和21年4月6日死去。78歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。本名は貞。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android