朝日日本歴史人物事典 「糸屋隋右衛門」の解説
糸屋隋右衛門
生年:天正14(1586)
江戸初期の長崎の朱印船の船長。父は宗丹,母は好孝と推定される。法名を宗覚。長崎本鍛冶屋町(長崎市万屋町)に住む。朱印船貿易家の長崎の代表的存在のようにいわれているが,朱印船貿易家の公式な資料には見当たらないので,朱印船の船長を務めたものと推定される。事実,隋右衛門の使用した東亜航海図の模写が伝わっているし,寛永7(1630)年松倉重政が幕命によって呂宋島偵察船を派遣したとき,船大将にその名がみえる。元和・寛永期(1615~44)に長崎から呂宋に渡航して活躍した人物であろう。子孫は孫の代の享保14(1729)年に絶えている。墓は長崎市長照寺裏山に現存。<参考文献>中田易直『近世対外関係史の研究』
(中田易直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報