江戸前期の浪人。慶安事件の参加者の一人。俗書では出羽の人とするが,下級幕臣の子であったと思われる。一時加賀前田氏の家臣に奉公していた。宝蔵院流の槍の達人で,江戸御茶ノ水に道場を開いていた。1651年由比正雪の幕府に対する謀反計画に加わり,江戸城攻撃を受け持つが,訴人があって,同年7月23日捕らえられ,8月10日品川の刑場で磔刑(たつけい)に処せられた。
執筆者:藤井 譲治 実録本《油井根元記》(1682年序),《慶安太平記》(幕末成立)などのほか,講談でも早くから事件を潤色,丸橋忠弥は主要人物の一人として描出された。事件の性質上,劇化などにあたっては幕府をはばかり,丸橋の名は〈角屋秋夜〉(浄瑠璃《尼御台由井浜出(ゆいがはまいで)》1729年2月),〈丸谷弥忠太〉(歌舞伎《けいせい富士見ル血文》1752年2月)など,虚構の人物に仮託され,なかでも浄瑠璃《太平記菊水之巻》(1759年9月),《碁太平記白石噺(しろいしばなし)》(1780年1月)の〈鞠ヶ瀬秋夜〉の名が太平記中の人名として仮用されて人口に膾炙(かいしや)した。明治期には解禁されたが,《樟紀流花見幕張(くすのきりゆうはなみのまくばり)》(1870年3月守田座,河竹黙阿弥作)でも初演時には〈鞠ヶ瀬秋夜〉として登場,この作は初世市川左団次の当り狂言となり,ことに堀端の酔態と捕物の大立回りの場が評判となった。ほかにも真山青果作《学者千石槍千石》(1940,未完)があり,偏狭な性格の人物として描かれる。
執筆者:小池 章太郎
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江戸時代の牢人(ろうにん)。正しくは忠也。一玄居士(いちげんこじ)と号す。慶安(けいあん)事件首謀者の1人。江戸・お茶の水で宝蔵(ほうぞう)院流槍(そう)術の道場を開いていたが、由比正雪(ゆいしょうせつ)から誘われて反幕府の陰謀に加担。江戸城攻撃を受け持ち、門人や牢人を語らって準備を進めたが、内偵と密告によって発覚して捕らえられ、品川で磔刑(たっけい)に処せられた。門人に守られた槍(やり)の達人である忠弥を捕らえるため、軽率な性格につけこんで、道場の外で「火事だ」と騒ぎ、見に飛び出してきたところを捕縛したという話はかなり早くから流布していた。文芸作品では幕府をはばかり、1759年(宝暦9)『太平記菊水之巻』、1780年(安永9)『碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)』などでは鞠ヶ瀬秋夜(まりがせしゅうや)の名で登場している。いわゆる『慶安太平記』のなかで本名で定着したのは、江戸城の堀に石を投げ込んでその深さを測る堀端の場で著名な1870年(明治3)『樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくばり)』以降のことである。
[高木昭作]
(橋本勝三郎)
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?~1651.8.10
江戸初期の慶安事件の首謀者の1人。槍術の達人。江戸お茶の水に道場を開く。1651年(慶安4)由比正雪らと倒幕を計画したが,事前に密告者が出て捕縛された。忠弥,兄の加藤市郎右衛門,母,親類を含めた30人余が品川で磔刑となった。浄瑠璃・歌舞伎などの題材とされ,初代市川左団次の当り役となった。
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…別名題《花菖蒲慶安実記(はなしようぶけいあんじつき)》《慶安太平記》。通称《丸橋忠弥》。1870年(明治3)3月守田座初演。…
※「丸橋忠弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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