由比正雪(読み)ゆいしょうせつ

改訂新版 世界大百科事典 「由比正雪」の意味・わかりやすい解説

由比(井)正雪 (ゆいしょうせつ)
生没年:1605-51(慶長10-慶安4)

江戸前期の浪人軍学者慶安事件の首謀者。駿河由比の紺屋の子として生まれたとも,駿河宮ヶ崎の生れともいわれる。江戸へ出て,神田の連雀町の裏店(うらだな)で旗本や大名の家臣に軍学を教え,数多くの弟子を集めた。しかし,大名からの招きには応じず,板倉重昌以外の大名を弟子としなかった。1651年(慶安4)幕閣への批判と旗本の救済とを掲げて,幕府に対する謀反計画を立て,多くの浪人を集める。7月計画を実行に移すため同志9人と駿府へ下り,久能山徳川家康の遺金を奪おうとするが,実行前に事が発覚し,駿府の旅宿梅屋にいるところを,駿府町奉行の手のものに取り囲まれ,26日朝,みずから命を断った。自刃後,首は塩漬とされ,7月30日駿府で獄門にかけられた。正雪や慶安事件は,のち《慶安太平記》などの素材となり,浄瑠璃歌舞伎などに劇化された。
執筆者:

実録本《慶安太平記》は虚構性が強く,史実からは離れて潤色されている。この作では,正雪の生い立ちから武者修行,森宗意軒に妖術を習い,江戸に出て楠不伝の家を奪い,丸橋忠弥ら4800人の浪人を集めて謀反を起こす様が描かれ,これに宮城野,信夫(しのぶ)の仇討をとりまぜ,大衆性に富む読物として流布し,講釈でも行われてきた。当代の事件を出版または劇化することが法規に触れるため,舞台化は困難を伴ったが,1729年(享保14)2月竹本座で竹田出雲ら作の《尼御台由井浜出(あまみだいゆいのはまいで)》の浄瑠璃が上演され,正雪は奇井中節の名で登場,ついで歌舞伎では57年(宝暦7)1月大坂姉川座《けいせい由来記(こんげんき)》に志井常悦として登場,また59年9月竹本座の浄瑠璃《太平記菊水之巻》(近松半二ら作)は南北朝に世界をとり,宇治常悦の名で,足利転覆を企てたが最後は南北朝和合を条件として自害する結末となっている。ほかにその改作物《嗚呼忠臣楠氏籏(ああちゆうしんなんしのはた)》(1771年12月,豊竹座),宮城野,信夫の仇討を主筋とした《碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)》(1780年1月,江戸外記座)などの慶安事件物があるが,いずれも仮名で登場,1870年(明治3)3月守田座での《樟紀流花見幕張(くすのきりゆうはなみのまくばり)》(河竹黙阿弥作)によって,初めて法的に解禁され,通称《慶安太平記》の名で,以来しばしば上演される。しかしこの作でも初演時には実名をはばかり宇治常悦とし,正雪よりも丸橋忠弥に重点が置かれて性格も丸橋がよく描かれている。歴史劇としては山崎紫紅作《由井正雪》(1920年6月,新富座)がある。
丸橋忠弥
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「由比正雪」の意味・わかりやすい解説

由比正雪
ゆいしょうせつ
(1605?―1651)

近世初期の浪人。軍学者。幕府覆滅を図った慶安(けいあん)事件の主謀者。姓は由井とも書く。正雪は号で名は正真(正之とも)。駿河(するが)(静岡県)由比(現静岡市)の紺屋の生まれといわれるが、幕府史料では父は岡村弥右衛門(やえもん)といい、駿河の浅間(せんげん)神社近辺(静岡市内)に住んでいたと伝えられる。正雪が江戸に出て事件を起こすまでの経歴は不明であるが、後代の実録『慶安太平記』などによれば、幼少のころ近くの寺に弟子入りしたが、まもなく寺を出て、軍学者高松半兵衛(半平とも)に見込まれて養子となり高松与四郎と称した。養父の死後江戸に出て浅草の菓子屋の鶴屋弥次右衛門(つるややじえもん)の養子となり、さらに楠木正成(くすのきまさしげ)の後裔(こうえい)と称する楠不伝(くすのきふでん)に楠流の軍学を学び、その養子となったが、1633年(寛永10)養父を毒殺して家伝の書物と牛込榎町(うしごめえのきちょう)の広大な道場を横領し、張孔(ちょうこう)堂(兵法家張良(ちょうりょう)、孔明(こうめい)にちなむ)の看板を掲げ、旗本や大名の家臣、浪人など3000人の門弟を指南したといわれる。ただし新井白石(あらいはくせき)は、正雪の弟子から聞いた話として、正雪の道場は神田連雀(れんじゃく)町の五間(いつま)の裏店であったこと、『平家物語評判』という書物を著したこと、などを書き残している。事件発覚後に全国に触れられた幕府の手配書は正雪の特徴を、「年四十あまり、がっそう(総髪)、せい小さく、色白、髪は黒く、唇は厚いが眼はくりくりとしている」としている。墓と称するものが静岡市清水区に残っている。

[高木昭作]

『進士慶幹著『由比正雪』(1961・吉川弘文館)』

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朝日日本歴史人物事典 「由比正雪」の解説

由比正雪

没年:慶安4.7.26(1651.9.10)
生年:慶長10(1605)
江戸前期の軍学者,慶安事件の首謀者。その事跡については,史実よりも俗説で論じられることが多く,出生についても駿河国(静岡県)由比の染物屋の子とする説,駿河国浅間宮ケ崎の岡村弥右衛門の子とする説などがあり定かでない。のち江戸に出て楠木正成の子孫と称する軍学者楠不伝の門に入り,そのあとを継いで楠流軍学を教え,その教えをこうものは旗本,大名の家来,浪人など3000人を数えたという。慶安4(1651)年,世情動揺を奇貨として,同志の丸橋忠弥,金井半兵衛らとはかり,幕府転覆を企てたが,内部からの訴人によって事前に発覚,一党はことごとく召し捕らえられた。そのとき正雪は,駿河の久能山を占拠してから駿府城を攻略する準備のため,駿河茶町の旅館梅屋に逗留中であったが,事の露見を知って自刃した(慶安事件)。この事件では御三家のひとつ紀州徳川頼宣の名が利用された。正雪による謀反の目的については,キリシタン説,尊王討幕説,幕政改革説(正雪自身が書置に残す),浪人救済説などの諸説があるが,現在では浪人救済説が妥当とされている。この点で事件の6年後に生まれた新井白石が正雪の弟子からの聞き書きを残しているのは興味深い。白石自身,浪人生活の苦しさを知っており,正雪に同情的である。この事件のあと幕府の厳しい浪人政策が改められたのも事実である。 正雪や慶安事件は,のち浄瑠璃や歌舞伎で劇化された。享保14(1729)年大坂竹本座で竹田出雲らが上演したのがはじまりだが,当時は,名前や時代を変えて脚色されていた。明治になってはばかりなく上演できるようになり,明治3(1870)年の東京守田座を皮切りに「慶安太平記」の通称でしばしば上演されている。<参考文献>進士慶幹『由比正雪』

(所荘吉)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「由比正雪」の解説

由比正雪
ゆいしょうせつ

1605?~51.7.26

由井とも。江戸初期の軍学者。慶安事件の首謀者。駿河国生れ。江戸にでてみずから楠木正成の子孫などと称して軍学を講じ,旗本や大名家中・牢人らを弟子とした。1651年(慶安4)7月23日,江戸で密告者があり,一味の丸橋忠弥の逮捕に端を発した幕府の取調べの結果,駿河国久能山など全国各所で騒動をおこし幕府転覆を企てる一味の首領とされた。同月26日,旅宿中の駿府において幕府の捕手(とりて)に包囲され自殺(慶安事件)。牢人救済が目的とされるが,事件を企てた真意や背後関係については不明の部分が多い。後世,実録本・浄瑠璃・歌舞伎などの登場人物として広く知られるようになり,さまざまな逸話が付加された。

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百科事典マイペディア 「由比正雪」の意味・わかりやすい解説

由比正雪【ゆいしょうせつ】

江戸前期の軍学者。由井とも書く。駿河(するが)国由比の生れとも同国宮ヶ崎の生れともいう。江戸へ出て塾を開き楠流軍学を講義して門弟多数を得た。1651年徳川家光の死に際し,幕閣への批判と旗本救済を掲げて幕府転覆を企図したが,事前に露見し駿府で自殺。→慶安事件丸橋忠弥
→関連項目武断政治

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「由比正雪」の解説

由比正雪 ゆい-しょうせつ

1605-1651 江戸時代前期の軍学者。
慶長10年生まれ。楠流の軍学をまなび,江戸で旗本や浪人におしえた。出自・経歴には諸説があり不明な点がおおい。丸橋忠弥,金井半兵衛らと幕府転覆をはかったが,内通により発覚し,慶安4年7月26日駿府(すんぷ)茶町の旅宿で自害した(由比正雪の乱)。47歳。のち事件は浄瑠璃(じょうるり),歌舞伎などに劇化された。姓は由井とも。通称は松雪,張孔堂先生。
【格言など】不肖の志徒(いたず)らに成り候(遺書)

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デジタル大辞泉プラス 「由比正雪」の解説

由比正雪

唐十郎による戯曲。1968年、劇団状況劇場により初演。1969年、第14回「新劇」岸田戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)の候補作品となる。

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世界大百科事典(旧版)内の由比正雪の言及

【樟紀流花見幕張】より

…歌舞伎狂言。時代物。6幕。河竹黙阿弥作。別名題《花菖蒲慶安実記(はなしようぶけいあんじつき)》《慶安太平記》。通称《丸橋忠弥》。1870年(明治3)3月守田座初演。配役は鞠ヶ瀬秋夜(丸橋忠弥)・大竹初蔵を初世市川左団次,音川修理之介(松平伊豆守)・金井谷五郎を沢村訥升(とつしよう)(のちの4世助高屋高助),宇治常悦(由井正雪)・増田八右衛門を4世中村芝翫(しかん),弓師宗四郎(藤四郎)・九郎兵衛を3世中村仲蔵等。…

【慶安事件】より

…1651年(慶安4)7月に発覚した浪人らによる幕政批判の騒擾(そうじよう)事件。首謀者は由井正雪丸橋忠弥,金井半兵衛,熊谷市郎兵衛ら。慶安の変,由井正雪の乱ともいう。関ヶ原の戦以後,江戸幕府は多くの大名を改易あるいは減封したため,多数の浪人が発生した。一方,元和偃武(げんなえんぶ)以降,ことに寛永期(1624‐44)を迎えると諸大名家での家臣召抱えが控えられるようになり,職を求める浪人がちまたにあふれ,浪人問題は大きな社会問題となってきていた。…

※「由比正雪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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