細川護熙(読み)ほそかわもりひろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「細川護熙」の意味・わかりやすい解説

細川護熙
ほそかわもりひろ
(1938― )

政治家。東京都生まれ。旧熊本藩主細川家第18代当主。母方祖父近衛文麿(このえふみまろ)。1963年(昭和38)上智(じょうち)大学法学部を卒業し、朝日新聞社に入社。1971年参議院全国区から自由民主党公認候補として出馬し当選、その後、自民党副幹事長、参議院議員運営委員会筆頭理事、大蔵政務次官などを歴任。1983年熊本県知事選挙で当選、アイデア知事として日本一づくり、テクノポリス計画、国際化に努め、地方分権を唱える。1987年知事に再選(~1991年2月)。1991年(平成3)臨時行政改革推進審議会(第三次行革審)の「豊かなくらし部会」部会長に就任し、東京一極集中の是正、パイロット自治体構想などを提言した。1992年日本新党を結成し代表になる。日本新党は1993年7月の総選挙で35議席を獲得し、細川自身も衆議院熊本1区でトップ当選した。「五五年体制」崩壊による自民党退潮によって、8月6日第79代、50人目の首相指名を受け、8党派連立内閣を発足させた。1994年1月、政治改革法を成立させたが、佐川急便からの1億円借り入れ問題などの責任をとって同年4月首相を辞任12月には日本新党を解党して新進党結成に参加した。しかし、1997年6月に離党、1998年4月に突然議員を辞職した。その後は陶芸家として活動、2011年(平成23)には京都造形芸術大学の学園長に就任。歴代の首相経験者とは色合いを異にする道を歩んでいる。

[橋本五郎]

『細川護熙著、伊集院敦構成『内訟録――細川護熙総理大臣日記』(2010・日本経済新聞出版社)』

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世界大百科事典(旧版)内の細川護熙の言及

【55年体制】より


[55年体制の終焉とその後]
 さらに,80年代末になると,政治腐敗の噴出,派閥政治の横行,無党派層の増大といった55年体制の制度疲労の徴候がますます顕在化し,政治改革への声が加速度的に増幅されてきた。このような事態を背景にして起こったのが〈新党ブーム〉で,まず登場してきたのが,92年5月の細川護熙をリーダーとする日本新党であり,これに続く動きが,93年6月の武村正義らの自民党からの離党者による新党さきがけの,またその数日後の小沢一郎らのもう一つの自民党離党者グループによる新生党の,結成である。そして,その1ヵ月後に行なわれた総選挙で,自民党は,第一党の地位は保ったものの過半数の議席を得ることができず,非自民勢力の結束の前に,ついに38年間維持しつづけた政権の座を下りた。…

※「細川護熙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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