日本歴史地名大系 「細工所村」の解説 細工所村さいくじよむら 兵庫県:加古川市旧印南郡地区細工所村[現在地名]加古川市志方町細工所(しかたちようさいくじよ)一本松新(いつぽんまつしん)村の北西、西(にし)川の上流に位置する。南北に北条(ほうじよう)(現加西市)に至る道が通る。文明一三年(一四八一)九月日の赤松一族上月満吉の所々知行分目録案(上月文書)には東細工所半分を載せる。慶長国絵図に村名がみえ、その南にも細工所と記されている。はじめ姫路藩領。正保元年(一六四四)に幕府領となり、延宝八年(一六八〇)には下総佐倉藩領(印南郡の四村は延宝六年より同藩領となったが村名不明)となり、貞享三年(一六八六)藩主大久保氏の転封により相模小田原藩領となる。 細工所村さいくじよむら 鳥取県:東伯郡東伯町細工所村[現在地名]東伯町美好(みよし)晩田(ばんだ)村の南に位置する。拝領高は三〇八石余。藪役銀一二匁を課されており(藩史)、斎藤氏の給地があった(給人所付帳)。幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高三五一石余、竈数三一。元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数三一、うち余業八(農業日雇二など)。明治一〇年(一八七七)福寄(ふくより)村と合併して美好村となった。宮(みや)ノ峰(みね)にある照国(てるくに)神社(祭神は伊弉冊尊など七神)はかつて日吉山王と称され、明和四年(一七六七)の八橋郡神社改帳(県立博物館蔵)によれば本殿のほかに舞殿、釣鐘殿(鐘差渡し一尺八寸)を有していたという。 細工所村さいくじよむら 兵庫県:篠山市旧篠山町地区細工所村[現在地名]篠山市細工所井串(いくし)村の北西にあり、大芋(おくも)川が流れる。地内に荒木氏の用いた細工所城があったとされる。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「細工所村」とみえ、高二一九石余。正保郷帳では田高一一六石余・畠高二〇石。「丹波志」では草上(くさのかみ)郷(村雲庄)のうちで、高二三七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by