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統一マレー人国民組織 とういつマレーじんこくみんそしきUnited Malays National Organization

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

統一マレー人国民組織
とういつマレーじんこくみんそしき
United Malays National Organization

略称 UMNOマレーシアの政党。 1946年5月,貴族,地主などマレー人上層勢力がマレー人優先を掲げて結成した。初代総裁ダト・オン。マレー人と非マレー人の同等の権利を認めるマラヤ連合案に反対,48年2月のマラヤ連邦発足後,52年1月マレーシア華人協会 MCA,54年 10月マレーシア・インド人会議 MICと連合し,連盟党が結成された。その後 65年8月,「マレー人のマレーシア」を唱える右派 UMNOと「マレーシア人のマレーシア」を唱える人民行動党の対立から,シンガポールが分離独立した。五・一三暴動を契機に,連盟党は 73年1月,国民戦線 NFとなった。 88年2月,かねてより内紛のあった UMNOは2派に分裂,主流派を率いるマハティール首相が新 UMNOを結成し,ラザレイ元蔵相らは46年精神党を組織した。しかし,90年の総選挙前には旧名に戻り,選挙では UMNOを核とする国民戦線が勝利を収めた。さらに 95年の総選挙でも勝ったが,97年タイの通貨切下げに始る通貨危機の影響で政権は危機に陥った。

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知恵蔵の解説

統一マレー人国民組織

第2次大戦後、宗主国英国が用意したマラヤ連合案に「マレー人の政治的優位」を否定する内容が盛り込まれていたため、同法案に反対するマレー人諸団体の連合体として組織された。党憲章は「マレー人社会の擁護」「マレー文化、イスラムの尊重」をうたっている。1950年代にマラヤ華人協会(MCA)、マラヤ・インド人会議(MIC)と連盟党を結成、55年以来、マラヤ連邦の政権党となった。63年のマレーシア形成後、ボルネオ地域の政党も含むマレーシア連盟党が結成された。69年、総選挙で苦戦した同党は4つの野党を編入し、74年に国民戦線(BN:Barisan Nasional)を正式に発足させた。以後、BNは連邦下院で3分の2以上の議席を保つ。独立以来、UMNOの党首が首相を務めている。81年にマハティールが党総裁、首相に就任。路線対立及び後継者問題をめぐって深刻な内紛があったが、2003年10月末に引退した。後任はアブドラ・バダウィ(アブドラ政権)。04年3月の総選挙でアブドラ首相率いる与党連合が議席のおよそ9割を獲得する歴史的な大勝を収めた。

(片山裕 神戸大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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