改訂新版 世界大百科事典 「継山検校」の意味・わかりやすい解説
継山検校 (つぐやまけんぎょう)
生没年:?-1697(元禄10)
箏曲家。継山流箏曲の始祖。次山とも。名は阿一。1657年(明暦3)戸島方原田ふ一検校を師として検校に登官。住(隅)山流箏曲の祖住山こん一検校の門下ともいうが,住山は1664年(寛文4)に登官している。盲官系譜上の門下には,喜多(北)井阿一職検校などがあり,孫弟子に吉田じう(茂)一検校(1709登官),吉田たけ一検校(1735登官)などがあるが,継山流の系譜では,継山-吉田-吉田と伝承されたと伝える。継山流は,大坂で富筋および菊池派に伝えられた。大阪では菊田系・菊井系の人々が伝承しており,現在東京で活躍している富崎春昇,富山清琴などは,本来は継山流である。生田流とは組歌に異同があるほか,箏の足の形なども異なる。
執筆者:平野 健次
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