富山清琴
とみやませいきん
(1913―2008)
地歌、箏曲(そうきょく)の演奏家。本名八田清治(きよはる)。大阪市生まれ。1歳4か月で失明。4歳で富永敬琴(けいきん)に入門し、久弥(ひさや)を名のる。12歳で野川流三味線および継山(つぐやま)流箏秘曲の伝授を受け、富山清琴の芸名をもらう。師の没後は田伏(たぶち)イトに胡弓(こきゅう)その他を習い、1930年(昭和5)上京してイトの弟弟子、富崎春昇(しゅんしょう)に入門、内弟子となる。47年には清音会を結成し、翌年師より家元として独立を許された。師春昇の遺産をすべて受け継ぎ、古典継承とともに作曲にも優れている。作品に『雨四題』『防人の賦(さきもりのふ)』『鐘の音』など。69年地唄(じうた)の重要無形文化財保持者に認定。88年芸術院会員。2000年(平成12)2世清琴を長男の清隆(きよたか)(1950― )に譲り、自身は富山清翁を名のる。
[平山けい子]
『今井欣三郎編『清琴、地うた修業』(1966・芸能発行所)』
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世界大百科事典(旧版)内の富山清琴の言及
【地歌】より
…箏曲化されていない楽曲,あるいは箏の編曲はあっても,三味線の比重の強い楽曲を,狭義の地歌とした場合には,その伝承者は大阪に多いことになる。北派ともいわれる菊の字を姓に含む菊筋の演奏家では,[菊原琴治]の娘の菊原初子(1899‐ ),南派の富の字を姓に含む富筋の演奏家では,東京に進出した[富崎春昇]とその門下の富山清琴(1913‐ )が,いずれも人間国宝に指定された。 別に九州にも独自の伝承が行われ,とくに三味線の技巧的発達をくふうするものが多かったが,明治以降に,[長谷幸輝](ながたにゆきてる)や,その門下の川瀬里子(1873‐1957)などが東京に移住してからは,東京の生田流箏曲家は,この九州系の地歌三味線家でもある者が主流を占めるに至った。…
【富崎春昇】より
…47年日本芸術院会員,55年重要無形文化財保持者,57年文化功労者。大阪では,[菊原琴治]が終生大阪にとどまったため,菊筋の地歌・箏曲が保存されたのに対し,東京では富筋が普及し,春昇没後は,その門下の富山清琴(1913‐ )が同様に重要無形文化財保持者に認定されている。また春昇の娘の富崎富美代(1920‐ )も活躍している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」