綜芸種智院跡(読み)しゆげいしゆちいんあと

日本歴史地名大系 「綜芸種智院跡」の解説

綜芸種智院跡
しゆげいしゆちいんあと

[現在地名]南区西九条春日町蔵王町〉の一部

天長五年(八二八)に、空海が庶民の教育機関として設立した学校。東寺の東隣に二町余の土地と五間の屋をもつ九条邸を中納言藤原三守から寄進を受けた空海は、天長五年に綜芸、つまり儒仏を併せて各種の学芸を学ぶことにより、種智(大日如来の仏智の開顕)を目的とした施設をこの地に設立した。同年一二月一五日には、綜芸種智院の制式「綜芸種智院式」を作成、院の規模も、ほぼこの時に完成したとみられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む