奈良時代の文人,政治家。古代の豪族物部氏の一族石上氏の出身で,祖父は左大臣の麻呂,父は中納言の乙麻呂である。宅嗣は才敏で姿,ようすがすぐれ,言語,動作が閑雅であったと伝える。はじめ相模,三河,上総などの国守を歴任,761年(天平宝字5)に遣唐副使に任ぜられたが,翌年なぜかこの職を解かれている。このころ,藤原良継らとともに,当時の実力者藤原仲麻呂を除こうと企てたが,良継がひとり責を負って罪を許されたという。その後,大宰少弐,常陸守などを経て,765年(天平神護1)には参議となった。770年(宝亀1)に称徳天皇が没した際は,藤原氏とともに光仁天皇の擁立に動いた。光仁朝では大宰帥,中納言,中務卿,大納言,式部卿などの要職を務め,781年,53歳で没している。晩年には後の桓武天皇を指導する皇太子傅(ふ)の地位にもあった。宅嗣は書物を愛し書に巧みで,詩文を作る才に秀で,淡海三船(おうみのみふね)とならぶ奈良朝後半の代表的文人であった。その詩は《経国集》に収められている。彼の信条は儒教,仏教の調和にあり,仏教にも帰依して自宅を阿閦寺(あしゆくじ)という寺にしている。この寺の南東に建てられた芸亭(うんてい)は,儒教の典籍を収蔵し,好学の徒に開放したもので,日本最初の公開図書館として名高い。平安初期に文人として名を成した賀陽豊年(かやのとよとし)は,ここで学んだ。宅嗣には《三蔵讃頌》という著作があり,唐に伝えられて唐僧の称賛をうけたというが,現存しない。
執筆者:東野 治之
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奈良時代後期の官吏、文人。中納言(ちゅうなごん)乙麻呂(おとまろ)の子。751年(天平勝宝3)従(じゅ)五位下(げ)を授けられ地方官を歴任、761年(天平宝字5)遣唐使となったが翌年やめさせられている。その翌年、藤原良継(よしつぐ)、佐伯今毛人(さえきのいまえみし)、大伴家持(おおとものやかもち)らと謀って藤原仲麻呂(なかまろ)を除こうとして発覚、良継が1人責任をとったが、宅嗣も大宰少弐(だざいのしょうに)に左遷された。その後、参議、大宰帥(そち)、式部卿(きょう)、中納言、皇太子傅(ふ)の要職を歴任、大納言正三位(さんみ)に上り、死後正二位を贈られた。
伝に、性朗悟で姿儀あり、経史を愛し、(書籍を)渉覧するところ多く、好んで文を属(つく)り、書は草隷(そうれい)に巧みで、風景山水にあうごとに筆をとってこれを題として文をつくり、宝字(ほうじ)(757~765)以後、淡海三船(おうみのみふね)とともに文人の首で、家を阿閦(あしゅく)寺とし、寺内に外典(がいてん)(仏教以外の書)の院を置き、芸亭(うんてい)と名づけ、好学の人に開放した、とある。
[横田健一]
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729~781.6.24
奈良後期の公卿。物部朝臣(もののべのあそん)・石上大朝臣とも称した。父は乙麻呂(おとまろ),祖父は麻呂。761年(天平宝字5)遣唐副使に任じられたが,渡海することなく辞任。770年(宝亀元)称徳天皇の没時,参議として藤原永手(ながて)らとともに光仁(こうにん)天皇を擁立。中納言から大納言・正三位に進み,死後正二位を贈られた。文人として名高く,旧宅を阿閦(あしゅく)寺とし,一隅の書庫を亭(うんてい)と名づけ,おもに仏教経典以外の外典(げてん)を一般に公開した。日本最初の公開図書館という。
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…麻呂は,このあと左大臣にまですすみ,子の乙麻呂も中納言まですすむなど,8世紀前半の政界で活躍がめだった。この乙麻呂の子が,芸亭(うんてい)をつくったことで名高い石上宅嗣(やかつぐ)であるが,宅嗣は775年(宝亀6)朝廷に請うて物部朝臣と氏を旧に復すことを許された。しかし,彼は中納言・中務卿であった779年再び物部朝臣を改め石上大朝臣の氏姓を与えられた。…
…奈良時代末に有名な文人の大納言石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が設けた書庫。日本最初の公開図書館とされる。…
…このような気運のもとで,多くの図書を集め多くの人の閲覧に供するという狭義での図書館も誕生することになった。聖徳太子の夢殿,大宝令の規定に見える中務(なかつかさ)省の図書(ずしよ)寮,東大寺など大寺に付設された経蔵,さらには吉備真備(きびのまきび)や玄昉(げんぼう)など知識人の私的な文庫も広義の図書館と考えることができるが,一般には石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が奈良の地において,私邸に阿閦(あしゆく)寺を建立し,その境内に芸亭(うんてい)と称する書斎を設け公開したものが日本における公開図書館の発祥とされる(8世紀後半)。また,菅原道真はその書斎文庫の紅梅殿(こうばいどの)を他人にも公開したといわれる。…
※「石上宅嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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