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石上宅嗣 いそのかみのやかつぐ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石上宅嗣
いそのかみのやかつぐ

[生]天平1(729)
[没]天応1(781).6.24. 奈良
奈良時代の高官,文人。左大臣麻呂の孫。中納言乙麻呂の子。天平勝宝3 (751) 年従五位下。天平宝字1 (757) 年従五位上,相模守。同3年三河守。同5年上総守,遣唐副使。同7年文部大輔。同8年大宰少弐,正五位上,常陸守。この頃,藤原良継,大伴家持,佐伯今毛人らとともに藤原仲麻呂を除こうとして発覚,良継1人が責めを負い,ほかは罪を免れてのち復官した。天平神護1 (765) 年従四位下,近衛中将。同2年参議,正四位下。神護景雲2 (768) 年従三位。この頃式部卿。宝亀1 (770) 年称徳天皇が崩じ,藤原永手らとともに光仁天皇擁立に力を尽す。功により大宰帥。同2年式部卿,中納言。同6年物部朝臣の姓を賜わる。同8年中務卿。同 10年宣勅使として唐使をもてなす。同年石上大朝臣の姓を賜わる。この頃皇太子補佐。同 11年大納言。天応1 (781) 年正三位。同年薨じ贈正二位。法名は梵行。彼は経史を好んで渉覧し,詩文に秀で,草隷に巧みであったという。淡海三船とともに文人の首 (第一人者) として名声が高かった。その詩賦の一部は『経国集』に収められている。晩年は仏教に心を傾け,自宅を阿 閦寺 (あしゅくじ) として寺に造り直し,内外両門は本来一体であるとの考えに基づき,その寺内に特に外典 (げてん) の院を設け,ここに所蔵の儒書を集めて芸亭 (うんてい) と名づけ,好学の徒に公開した。これは日本で最初の図書館といわれる。

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百科事典マイペディアの解説

石上宅嗣【いそのかみのやかつぐ】

奈良時代の貴族,文人。藤原仲麻呂を除こうとして失脚,のち復官し,780年大納言正三位(だいなごんしょうさんみ)。漢詩をよくし,その詩は《経国集(けいこくしゅう)》に見られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石上宅嗣 いそのかみの-やかつぐ

729-781 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)元年生まれ。石上乙麻呂(おとまろ)の子。各地の国守,文部大輔(たいふ)などをへて,天平神護2年参議,宝亀(ほうき)11年大納言にすすむ。詩文と書にすぐれ,「経国集」「万葉集」に詩歌がある。奈良の自邸を日本初の公開図書館「芸(うんてい)」とした。天応元年6月24日死去。53歳。正二位を追贈された。著作に「浄名経賛」。

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世界大百科事典 第2版の解説

いそのかみのやかつぐ【石上宅嗣】

729‐781(天平1‐天応1)
奈良時代の文人,政治家。古代の豪族物部氏の一族石上氏の出身で,祖父は左大臣の麻呂,父は中納言の乙麻呂である。宅嗣は才敏で姿,ようすがすぐれ,言語,動作が閑雅であったと伝える。はじめ相模,三河,上総などの国守を歴任,761年(天平宝字5)に遣唐副使に任ぜられたが,翌年なぜかこの職を解かれている。このころ,藤原良継らとともに,当時の実力者藤原仲麻呂を除こうと企てたが,良継がひとり責を負って罪を許されたという。

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大辞林 第三版の解説

いそのかみのやかつぐ【石上宅嗣】

729~781) 奈良時代の廷臣。石上麻呂の孫。光仁天皇の即位に功あり、中納言・中務卿・大納言などを歴任。詩文・書にすぐれ、仏教に帰依きえし自宅を阿閦寺あしゆくじとした。寺内に建てられた?うんていには儒教典籍が置かれ、好学の徒に開放されたので、日本最初の図書館とされる。 → ?

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石上宅嗣
いそのかみのやかつぐ
(729―781)

奈良時代後期の官吏、文人。中納言(ちゅうなごん)乙麻呂(おとまろ)の子。751年(天平勝宝3)従(じゅ)五位下(げ)を授けられ地方官を歴任、761年(天平宝字5)遣唐使となったが翌年やめさせられている。その翌年、藤原良継(よしつぐ)、佐伯今毛人(さえきのいまえみし)、大伴家持(おおとものやかもち)らと謀って藤原仲麻呂(なかまろ)を除こうとして発覚、良継が1人責任をとったが、宅嗣も大宰少弐(だざいのしょうに)に左遷された。その後、参議、大宰帥(そち)、式部卿(きょう)、中納言、皇太子傅(ふ)の要職を歴任、大納言正三位(さんみ)に上り、死後正二位を贈られた。
 伝に、性朗悟で姿儀あり、経史を愛し、(書籍を)渉覧するところ多く、好んで文を属(つく)り、書は草隷(そうれい)に巧みで、風景山水にあうごとに筆をとってこれを題として文をつくり、宝字(ほうじ)(757~765)以後、淡海三船(おうみのみふね)とともに文人の首で、家を阿(あしゅく)寺とし、寺内に外典(がいてん)(仏教以外の書)の院を置き、(うんてい)と名づけ、好学の人に開放した、とある。[横田健一]

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図書館情報学用語辞典の解説

石上宅嗣

729(天平1)-781(天応1).通説では日本最古の公開図書館とされている芸亭の設立者.中納言乙麻呂の子,物部朝臣と称する.757(天平宝字1)年相模守,その後地方官を歴任し761(天平宝字5)年遣唐副使に任ぜられるが直後に免ぜられる.763(天平宝字7)年(?)藤原仲麻呂を除く藤原良継らの企てに参画したが,良継が一人責めを負い宅嗣らは罪を免れた.後参議を兼ねて式部卿,光仁天皇擁立に参画.その後中務卿兼中納言となり,この頃皇太子傅,大納言に進み,死後に正二位を追贈される.詩賦をよくし,漢籍に関する知識が豊富で書にも優れ,淡海三船とともに文人の首といわれた.晩年その旧宅を捨てて阿寺とし,寺内の一隅に特に外典(仏書以外の書物)の院を設け,芸亭と名付けた.

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世界大百科事典内の石上宅嗣の言及

【石上氏】より

…麻呂は,このあと左大臣にまですすみ,子の乙麻呂も中納言まですすむなど,8世紀前半の政界で活躍がめだった。この乙麻呂の子が,芸亭(うんてい)をつくったことで名高い石上宅嗣(やかつぐ)であるが,宅嗣は775年(宝亀6)朝廷に請うて物部朝臣と氏を旧に復すことを許された。しかし,彼は中納言・中務卿であった779年再び物部朝臣を改め石上大朝臣の氏姓を与えられた。…

【芸亭】より

…奈良時代末に有名な文人の大納言石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が設けた書庫。日本最初の公開図書館とされる。…

【図書館】より

…このような気運のもとで,多くの図書を集め多くの人の閲覧に供するという狭義での図書館も誕生することになった。聖徳太子の夢殿,大宝令の規定に見える中務(なかつかさ)省の図書(ずしよ)寮,東大寺など大寺に付設された経蔵,さらには吉備真備(きびのまきび)や玄昉(げんぼう)など知識人の私的な文庫も広義の図書館と考えることができるが,一般には石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が奈良の地において,私邸に阿閦(あしゆく)寺を建立し,その境内に芸亭(うんてい)と称する書斎を設け公開したものが日本における公開図書館の発祥とされる(8世紀後半)。また,菅原道真はその書斎文庫の紅梅殿(こうばいどの)を他人にも公開したといわれる。…

※「石上宅嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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