綱神社・大倉神社(読み)つなじんじや・おおくらじんじや

日本歴史地名大系 「綱神社・大倉神社」の解説

綱神社・大倉神社
つなじんじや・おおくらじんじや

[現在地名]益子町上大羽

地蔵院西側参道から急な石段を登った山腹にある。正面に綱神社、西側に大倉神社が並んで建つ。綱神社は「下野国誌」によれば宇都宮朝綱が公田押領の罪で建久五年(一一九四)土佐に配流された際に、同国の賀茂神社赦免を祈願し、のちこの地に賀茂神社を勧請したことに始まり、朝綱にちなんで綱神社とよばれるようになったという。祭神は味耜高彦根命。近世は寺領一五石余を与えられていた(旧高旧領取調帳)。現在の社殿の建築年代は不詳だが、大倉神社と同じく大永年間(一五二一―二八)頃の建築とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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