朝日日本歴史人物事典 「美努岡麻呂」の解説
美努岡麻呂
生年:斉明7(661)
8世紀初めに活躍した官人。姓は三野とも書く。天武12(683)年,連姓を賜った。大宝1(701)年遣唐使小商監となり,翌年入唐した。このとき春日蔵首老 が作った送別の歌が『万葉集』巻1に残っている。霊亀2(716)年,従五位下に叙され,主殿頭(宮内省主殿寮の長官)となる。経歴は以上であるが,岡麻呂が著名なのは,天平2(730)年10月2日付の墓誌銘が存する点である。その内容は以上に略記した通りである。埋葬されたのは墓誌銘の日付のころであったと考えられる。この墓誌は明治5(1872)年に大和国平群郡萩原村(生駒市)の農民忠平が,同村内の竜王と称する地で掘り出したものという。
(森公章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報