美田村顕教(読み)みたむら・あきのり

朝日日本歴史人物事典 「美田村顕教」の解説

美田村顕教

没年:昭和6.1.10(1931)
生年嘉永2.12.4(1850.1.16)
明治大正期の薙刀術師範。通称岡之助,号は八重垣。父は丹波国亀山藩(亀岡市)の藩士美田村隼人正農。10歳から藩の師範役下河原一弘につき天道流兵法を学び,明治24(1891)年下河原一霍から皆伝を受けた。以降各所に出張教授し,28年の大日本武徳会設立後はその発展にも尽力し,大正3(1914)年同会より薙刀術教授の委嘱を受け,のちに薙刀術範士称号を授与された。同志社高女や大津高女など数多くの高等女学校で薙刀を教え,近代の女子薙刀の興隆に尽くし,古伝薙刀を現代に残した功労者。<参考文献>美田村邦彦『大日本薙刀道教範』

(松井健二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「美田村顕教」の意味・わかりやすい解説

美田村顕教
みたむらあきのり
(1849―1931)

近代なぎなた成立期の功労者。養女千代(ちよ)らの協力を得て、天道(てんどう)流薙刀術の団体教授法を創案し、その普及に尽力した。顕教は丹波(たんば)国亀山(かめやま)藩(京都府亀岡市)の藩士の家に生まれ、10歳のとき天道流下河原唯六(しもがわらただろく)の門に入り、1891年(明治24)天道流兵法第14代を継承した。1906年(明治39)大日本武徳会薙刀術講習科の主任教師となり、24年(大正13)には薙刀術範士の称号を授与された。

[渡邉一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「美田村顕教」の解説

美田村顕教 みたむら-あきのり

1850*-1931 明治-大正時代の武道家。
嘉永(かえい)2年12月4日生まれ。もと丹波亀山藩(京都府)藩士。同藩の下河原一弘に天道流兵法をまなぶ。大正3年大日本武徳会より薙刀(なぎなた)術の教授を委嘱され,13年範士。同志社高女,滋賀女子師範などでもおしえ,養女千代とともに近代の女子薙刀術をひろめた。昭和6年1月10日死去。83歳。

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