コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

美田村顕教 みたむら あきのり

3件 の用語解説(美田村顕教の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

美田村顕教 みたむら-あきのり

1850*-1931 明治-大正時代の武道家。
嘉永(かえい)2年12月4日生まれ。もと丹波亀山藩(京都府)藩士。同藩の下河原一弘に天道流兵法をまなぶ。大正3年大日本武徳会より薙刀(なぎなた)術の教授を委嘱され,13年範士。同志社高女,滋賀女子師範などでもおしえ,養女千代とともに近代の女子薙刀術をひろめた。昭和6年1月10日死去。83歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

美田村顕教

没年:昭和6.1.10(1931)
生年:嘉永2.12.4(1850.1.16)
明治大正期の薙刀術師範。通称岡之助,号は八重垣。父は丹波国亀山藩(亀岡市)の藩士美田村隼人正農。10歳から藩の師範役下河原一弘につき天道流兵法を学び,明治24(1891)年下河原一霍から皆伝を受けた。以降各所に出張教授し,28年の大日本武徳会設立後はその発展にも尽力し,大正3(1914)年同会より薙刀術教授の委嘱を受け,のちに薙刀術範士の称号を授与された。同志社高女や大津高女など数多くの高等女学校で薙刀を教え,近代の女子薙刀の興隆に尽くし,古伝薙刀を現代に残した功労者。<参考文献>美田村邦彦『大日本薙刀道教範』

(松井健二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

美田村顕教
みたむらあきのり
(1849―1931)

近代なぎなた成立期の功労者。養女千代(ちよ)らの協力を得て、天道(てんどう)流薙刀術の団体教授法を創案し、その普及に尽力した。顕教は丹波(たんば)国亀山(かめやま)藩(京都府亀岡市)の藩士の家に生まれ、10歳のとき天道流下河原唯六(しもがわらただろく)の門に入り、1891年(明治24)天道流兵法第14代を継承した。1906年(明治39)大日本武徳会薙刀術講習科の主任教師となり、24年(大正13)には薙刀術範士の称号を授与された。[渡邉一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

美田村顕教の関連キーワード大森虎之助奥満雅亀高徳平斎藤弥兵衛園部秀雄田宮三之助津田耕烟内藤政氏西川岡之助山路一遊

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone