コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

美馬順三 みま じゅんぞう

3件 の用語解説(美馬順三の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

美馬順三 みま-じゅんぞう

1795-1825 江戸時代後期の医師。
寛政7年生まれ。長崎で蘭学をまなび,P.F.シーボルトに入門して鳴滝塾の塾頭となった。賀川流産科書や石坂宗哲の鍼灸(しんきゅう)書を蘭訳し,シーボルトによりヨーロッパの学術誌に順三の名で紹介された。文政8年6月11日死去。31歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。名は茂親。号は如柳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

美馬順三

没年:文政8.6.11(1825.7.26)
生年:寛政7(1795)
江戸後期の蘭方医。美馬茂則の次男。阿波国羽浦(徳島県羽ノ浦町)生まれ。名は茂親,号は如柳。文政6(1823)年来日直後の蘭館医シーボルトに入門,鳴滝塾の塾頭となる。賀川玄悦著『産論』,石坂宗哲著『鍼灸知要一言』などの要旨を蘭訳してシーボルトに提出。シーボルトは日本人の医学的業績としてこれらを西洋医学界に紹介した(『バタヴィア学芸協会雑誌』『ドイツ産科年報』その他)。またシーボルト著『日本』古代史編の史料は,順三提出の蘭文「日本書紀神武天皇紀」によるといわれる。当時流行のコレラに罹患して病没。墓碑は長崎市寺町の大音寺と生地の羽ノ浦町にある。<参考文献>福島義一『阿波の蘭学者』

(福島義一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

美馬順三
みまじゅんぞう
(1795―1825)

江戸後期の蘭方(らんぽう)医。阿波(あわ)国(徳島県)の生まれ。名は茂親(しげちか)、如柳(にょりゅう)と号した。京都就学を経て、長崎に行き、オランダ通詞吉雄権之助(よしおごんのすけ)(1785―1831)・吉雄忠次郎(1787―1833)らにオランダ語を学び、また末次忠助(1765―1838)に天文学を習った。出島オランダ館に出入りが許されて、オランダ館長ブロムホフJan Cock Blomhoff(1779―1853)と交わり、1823年(文政6)来日のシーボルトに師事して、出島のシーボルト外科部屋の最初の聴講生の一人となり、長崎郊外にシーボルトの鳴滝(なるたき)塾が設けられたとき、初代塾頭となった。シーボルトの日本研究に協力して、日本の産科書や鍼灸(しんきゅう)書をオランダ語訳して提出、これらはオランダとドイツの学術雑誌に順三の名で掲載された。文政8年6月11日、コレラにかかって31歳の若さで長崎に没した。[宗田 一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

美馬順三の関連キーワード冷泉為全高倉永範清岡輝忠杉田立卿五十嵐又碩斎藤方策杉田恭卿宮本元甫阿波鶴

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone