羽生城跡(読み)はにゆうじようあと

日本歴史地名大系 「羽生城跡」の解説

羽生城跡
はにゆうじようあと

[現在地名]羽生市東五丁目

葛西かさい用水左岸の湿地微高地に立地する。一六世紀初め、山内上杉氏が羽生城を取立て、木戸孝範の孫範実を入城させたものとみられる。関東幕注文(上杉家文書)には羽生衆として広田直繁、河田谷右衛門大夫(木戸忠朝)、渋江平六郎・岩崎源三郎らがみえ、永禄三年(一五六〇)冬の長尾景虎(上杉謙信)の関東攻めに城主広田直繁は上杉方に加わり、以後天正二年(一五七四)に落城するまで羽生城は上杉方の武蔵における拠点となった。越相同盟下の永禄一三年二月二八日、城主直繁は上野館林城主となったが(「上杉輝虎書状写」歴代古案)、その年のうちに足利城の長尾顕長に殺され、顕長が城主に戻ったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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