翁同龢(読み)おうどうわ(英語表記)Wēng Tóng hé

改訂新版 世界大百科事典 「翁同龢」の意味・わかりやすい解説

翁同龢 (おうどうわ)
Wēng Tóng hé
生没年:1830-1904

中国,清末の官僚。江蘇省常熟県の人。字は声浦,号は叔平。1856年(咸豊6)状元で進士に及第し,刑・工・戸各部の尚書,軍機大臣歴任光緒帝師傅(しふ)をつとめ皇帝信任を得た。皇帝と西太后対立が深まると帝党の中心として李鴻章らと争い,日清戦争では主戦論を唱えた。皇帝の親政を強化するため康有為らの変法維新の主張をとりあげ戊戌(ぼじゆつ)変法を企てたが,変法の詔から4日目に西太后は皇帝に迫って翁同龢を解任帰郷させた。以来郷里で地方官の監視下に置かれ病死した。後に文恭と諡(おくりな)された。著書に清末の重要史料として知られる《翁文恭公日記》40巻や《瓶廬詩文稿》18巻がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「翁同龢」の意味・わかりやすい解説

翁同龢
おうどうわ
Weng Tong-he; Wêng T`ung-ho

[生]道光10 (1830)
[没]光緒30 (1904)
中国,清末の政治家。江蘇省常熟の人。大学士,翁心存の子。咸豊6(1856)年,首席で進士に合格。栄進して戸部尚書,軍機大臣を歴任した。また光緒帝の師傅として帝の信任厚く,西太后派とは対立した。日清戦争時には主戦論,下関条約反対論を主張,光緒24(1898)年には康有為登用による政治改革を光緒帝に進言した。変法(→変法自彊運動)の失敗によって失脚,処罰され,のち故郷で死んだ。その日記『翁文恭公日記』は貴重な史料である。

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