翁方綱
おうほうこう
(1733―1818)
中国、清(しん)朝中期の書家、学者。大興県(河北省北京(ペキン))の人。字(あざな)は正三、号は覃渓(たんけい)、蘇斎(そさい)。1752年(乾隆17)の進士。広東(カントン)、湖北、山東各省の学政を経て北京に帰り、四庫全書纂修(さんしゅう)官となり内閣学士となった。書は唐人の楷行(かいぎょう)、漢碑の隷法を学んで一家をなし、劉墉(りゅうよう)、王文治(おうぶんじ)、梁同書(りょうどうしょ)(1723―1815)とともに清の四大書家に数えられる。とくに金石、碑版、法帖(ほうじょう)の学を好み、広い識見と精密な研究とで名があり、『両漢金石記』『蘭亭(らんてい)考』『唐碑選』など、優れた多くの論文を残している。また経学、史学、文学にも造詣(ぞうけい)が深く、復初斎文集、詩集、石洲(せきしゅう)詩話などの著述が『翁氏蘇斎叢書(そうしょ)』にまとめられている。
[角井 博 2016年3月18日]
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翁方綱 (おうほうこう)
Wēng Fāng gāng
生没年:1733-1818
中国,清中期の学者,書家。字は正三,号は覃渓,蘇斎。順天府大興県(北京)の人。乾隆17年(1752)の進士。官は内閣学士に至る。各地に郷試の考官や学政を務めて,後進を育て,《四庫全書》の編纂にも参画した。経史,金石の学における考訂の精密さに定評があり,漢隷の研究《石経残字考》《両漢金石記》などの著がある。書にも優れ,唐人の楷行,漢隷を学んで一家をなし,劉墉,王文治,梁同書と併せ清朝四大家の一人。帖学の著に《蘭亭考》がある。詩は学問を根底とし〈肌理説〉を唱え,詩話に《石洲詩話》がある。集は《復初斎詩文集》。
執筆者:角井 博+近藤 光男
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翁方綱
おうほうこう
Weng Fang-gang
[生]雍正11(1733)
[没]嘉慶23(1818)
中国,清の学者,文学者。直隷大興 (現在の北京市) の人。字,正三。号,覃渓,蘇斎。乾隆 17 (1752) 年の進士で,内閣学士にいたった。金石学に通じ,また書家としても高名。詩をつくるには学問が根底になくてはならぬとして肌理説を唱えたが,実作はあまり高く評価されない。著『両漢金石記』『経義考補正』『石洲詩話』『復初斎詩集』など。
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世界大百科事典(旧版)内の翁方綱の言及
【金石学】より
… 石刻研究は,石刻と歴史文献との差異を考証する方向と,文字を書法,芸術作品として扱う方向に大別される。銭大昕(せんたいきん)《潜研堂金石跋尾》20巻は前者の,翁方綱《復初斎文集》は後者の代表的著述である。石刻研究はさらに進み,畢沅(ひつげん),阮元などの大学者により地方別に石刻を編纂することが行われた。…
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