日本歴史地名大系 「老松町」の解説 老松町おいまつちよう 京都市:上京区翔鸞学区老松町上京区五辻通七本松西入上ル町のほぼ中央を南北に七本松(しちほんまつ)通が通り、北側は紫野下柏野(むらさきのしもかしわの)町(北区)に隣接する。町の開発時期は不明であるが、元禄末期洛中絵図に「老松丁」とみえる。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「此町北少シ曲リ上所」に「勘八町」の存在を示している。「勘八町」の記述はほかになく、その沿革は不明。また天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成には老末町の北に「もり永丁」がみえる。この町も不明であるが、この辺りにみられた柏森(かえのもり)にちなむ俗称と思われる(→柏清盛町)。 老松町おいまつちよう 大阪府:大阪市北区老松町[現在地名]北区西天満(にしてんま)四丁目小島(こじま)町の西にあり、東西に延びる両側町。初発言上候帳面写には住吉(すみよし)町が老松町になったとあり、明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図には住吉町、元禄年間(一六八八―一七〇四)の大坂三郷町絵図には老松町とみえる。「摂陽群談」によると民家に住吉大神影向の老松があった。大坂三郷天満組に属し、元禄一三年の三郷水帳寄帳では屋敷数六〇・役数六〇半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は有松栄順。「難波鶴」によると馬市があり、扇地紙職人も存在した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報