耕織図(読み)こうしょくず(その他表記)Gēng zhī tú

改訂新版 世界大百科事典 「耕織図」の意味・わかりやすい解説

耕織図 (こうしょくず)
Gēng zhī tú

稲作養蚕の過程を精密に描いた中国画。南宋の楼璹(ろうとう)(1090-1162)は浙江省於潜(おせん)県の知事のとき,農事に関心を寄せ,浸種にはじめ田植,草取りから刈入れ,精米にいたる21景の耕図と,浴蚕から一連の養蚕をへて絹布織成までの24景の織図を作り,各図に五言古詩を添えて高宗に献じた。この図は宋の劉松年や梁楷,元の程棨(ていけい)らの名に託して何種類も流布した。日本にも室町時代に伝わり,狩野之信(ゆきのぶ)はじめ障壁画の題材とされ,1676年(延宝4)狩野永納の模刻本もできた。清の康熙帝は,宮廷画家焦秉貞(しようへいてい)に命じ,西洋画風の遠近法をとりいれた,それぞれ23景の耕図,織図をえがかせ,御製の七言詩も加えて1689年(康熙28)に《佩文斎(はいぶんさい)耕織図》として刊行した。これは日本の浮世絵にも影響を及ぼしている。つづいて雍正,乾隆両帝も自作の詩を付した耕織図を作らせ,農耕,養蚕への関心の深さの表明とした。絵画史の史料であるとともに,宋から清への農業技術,農民生活解明の材料としても役立つ。
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百科事典マイペディア 「耕織図」の意味・わかりやすい解説

耕織図【こうしょくず】

水稲耕作と蚕織作業を描いたもの。中国,南宋の楼【ちゅう】(ろうちゅう)が高宗に献じたのが最初で,為政者が農民の労苦を知るという勧戒,および観農の意味をもつ。清の康煕(こうき)帝が焦秉貞(しょうへいてい)に描かせた《佩文斎(はいぶんさい)耕織図》が有名。日本でも室町時代以降描かれ,狩野之信の大仙院襖絵(ふすまえ)ほか数多い。

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世界大百科事典(旧版)内の耕織図の言及

【焦秉貞】より

…イエズス会の宣教師が長として任用された欽天監(きんてんかん)(天文,暦法,時計の3科をつかさどる)に勤めた縁で,西洋画法を学び,画家として活躍した。康熙帝の御製詩に付して透視遠近法を用いて描いた《耕織図》46幅は帝の意にかない,1696年(康熙35),1712年の2度にわたって内府で版刻され,広く民間にも流布した。【古原 宏伸】。…

※「耕織図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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