大仙院(読み)ダイセンイン

デジタル大辞泉 「大仙院」の意味・読み・例文・類語

だいせん‐いん〔‐ヰン〕【大仙院】

京都市北区にある大徳寺塔頭たっちゅう。永正6年(1509)古岳宗亘こがくそうこうにより開山本堂大灯国師墨跡国宝。同10年ごろつくられた方丈庭園は、枯山水石庭で有名。

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精選版 日本国語大辞典 「大仙院」の意味・読み・例文・類語

だいせん‐いん‥ヰン【大仙院】

  1. 京都市北区紫野大徳寺町にある大徳寺の塔頭(たっちゅう)一つ。永正六年(一五〇九)六角政頼が子の古岳宗亘(そうこう)を開山に創建書院東側の庭園は相阿彌の作と伝えられ、国史跡特別名勝指定されている。本堂と大燈国師墨蹟は国宝。

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日本歴史地名大系 「大仙院」の解説

大仙院
だいせんいん

[現在地名]笠岡市笠岡 川辺屋町

玄忠げんちゆう寺の北方、南流する隅田すみだ川に面し、丹色の山門で知られる。仏松山海蔵かいぞう寺と号し、高野山真言宗、本尊は大仙智明大権現(本地は地蔵菩薩)。元禄五年(一六九二、一説には同元年)橋野与三左衛門による建立で、伯耆大山だいせん信仰の一つ、他界信仰を伝える寺として、川辺屋かわべやの大仙さまの愛称で親しまれる。寺蔵の縁起によれば、与三左衛門は大山の大仙智明大権現に信仰帰依、その分体を持帰り自宅に祀った。


大仙院
だいせんいん

大徳寺の塔頭。真珠しんじゆ庵の西にある。永正六年(一五〇九)六角政頼の創建で、その子古岳宗旦(大聖国師)が開山(都林泉名勝図会)。大徳寺北派の本庵。国宝の本堂は入母屋造・銅板葺で永正一〇年の棟札をもち、禅刹の方丈建築としては最古といわれる。庭園は国指定名勝。書院は慶長一九年(一六一四)に造立されたものと伝えられ(大徳寺世譜)、入母屋造・銅板葺で、国指定重要文化財。書院の庭園は龍安寺の石庭とともに枯山水庭園の傑作

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改訂新版 世界大百科事典 「大仙院」の意味・わかりやすい解説

大仙院 (だいせんいん)

京都市北区にある臨済宗大徳寺の塔頭。1509年(永正6)古岳宗亘(こがくそうこう)の開山。大徳寺北派の本庵。本堂(1513,国宝)は南東玄関が突出し,南に広縁をもち,内部は6室に分かれた典型的な塔頭方丈で,山内に現存する諸例のなかで最も古い。その北東隅の書院の間から眺められる枯山水の庭園は竜安寺の石庭とともに著名で,史跡,特別名勝指定。本堂北の書院(1614)は沢庵の造立で重要文化財。国宝〈大灯国師墨蹟〉(1330)のほか,もと本堂の襖絵として使用されていた《瀟湘八相図》(室中),《花鳥図》(上間),《四季耕作図》(下間)や,相阿弥筆《瀟湘八景図》および〈牡丹孔雀模様堆朱盆〉は重要文化財である。
大徳寺
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百科事典マイペディア 「大仙院」の意味・わかりやすい解説

大仙院【だいせんいん】

京都大徳寺の塔頭の一つで,1509年古嶽宗亘(そうこう)の開基。本堂は1613年建築,南に広縁を設け,南東に玄関をつけた近世塔頭方丈の基本形だが,床,棚,書院がなく古い形式。伝狩野元信の《花鳥図》,伝狩野之信の《四季耕作図》,伝真相の《山水図》等の襖絵(ふすまえ)があった(現掛幅)。方丈の北東隅に枯山水の石庭(特別名勝)がある。
→関連項目狩野元信耕織図相阿弥

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大仙院」の意味・わかりやすい解説

大仙院
だいせんいん

京都市北区にある大徳寺の塔頭 (たっちゅう) 。永正6 (1509) 年に古岳宗亘 (そうこう) が創建。国宝指定の室町建築の本堂は,古い形式の塔頭方丈で6室に分れ,南東に玄関をもつ。方丈の東側に築かれた庭は,約 100m2の小面積に,岩石と樹木を巧みに配置した枯山水 (かれさんすい) の代表的な作例として有名で,岩と白砂で山奥に湧出した水が川となって流れていく景が造り出されている。特別名勝,史跡。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大仙院」の解説

大仙院
だいせんいん

京都市北区にある臨済宗大徳寺の塔頭(たっちゅう)の一つ。開山は古岳宗亘(こがくそうこう)で,1509年(永正6)六角政頼が創建。大徳寺北派の本庵。国宝の本堂は永正10年(1513)の棟札があり,禅院の方丈建築としては最古という。書院は重文。本堂の東にある枯山水の書院庭園は国史跡・国特別名勝。「大灯国師墨蹟」(国宝)や「四季耕作図」「花鳥図」「瀟湘八景図」(ともに重文)などがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大仙院」の解説

大仙院
だいせんいん

京都大徳寺の塔頭 (たつちゆう) の一つ
永正年間(1504〜21)の創建。玄関を完備した室町時代の方丈として貴重。方丈の東にある庭園は枯山水の名作として名高く,相阿弥の作と伝えられる。また方丈襖絵は狩野元信の筆という。

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事典 日本の地域遺産 「大仙院」の解説

大仙院

(京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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世界大百科事典(旧版)内の大仙院の言及

【狩野元信】より

…また元信は数人の弟子とともに工房を組織することで大量の注文に応じていった。障壁画の場合は工房による共同制作が有効なものであって,石山本願寺の記録には子の松栄をはじめとする数人の名が見いだせ,大徳寺大仙院や妙心寺霊雲院の障壁画は,元信以外に弟の之信など数人が参加していると考えられている。中国画を手本として描いた筆様というそれまでの方法に対して,狩野派独自のスタイルである真・行・草の画体を作り上げたことも重要で,これによって大量の障壁画に共同してあたれるようになった。…

【大徳寺】より

… 山内には24院の塔頭が伽藍の南,北,西に分布する。庫裏の北にある大仙院の本堂(1513,国宝)は山内塔頭のうち最古で,大灯国師墨蹟(1330,国宝)などを蔵する。真珠庵には曾我蛇足筆といわれる《山水図》《花鳥図》(ともに室町時代,重要文化財)が,聚光(じゆこう)院には狩野永徳筆とされる《花鳥図》などの方丈障壁画(国宝)がある。…

【庭園】より

…岩石を二つ三つ組んで山あるいは滝を表し,砂で川や海を象徴しようとした。代表的な実例が,大徳寺塔頭大仙院の書院の庭である。また,これ以上省略できないというところまで材料を単純化した竜安(りようあん)寺の庭(図4)のような傑作までつくられた。…

※「大仙院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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