胆振道(読み)いぶりどう

日本歴史地名大系 「胆振道」の解説

胆振道
いぶりどう

近世の内陸横断道路。東地ヲシャマンベからクロマツナイを経て西地ヲタスツ場所のウショロに至る道。年々和人地の鰊漁が不漁になるにつれ、一九世紀初め頃西地北側への追鰊漁が盛んになり、シママコマキ、スッツ、ウタス、イソヤイワナイ積丹しやこたん半島まで出向くようになった。このためヲシャマンベ山道は古くから知られ、レブンゲアイヌがクロマツナイに粗末な木賃宿を開いて旅人を泊めていたという。一八三一年(天保二年)には松前城下の利右衛門がアイヌ三人とともに谷地に木を並べ、川に橋を架けるなどして道路の手入れを行った(北海道道路史)。「湯浅此治日記」弘化元年(一八四四)二月一三日条の「西蝦夷地江鰊漁為出稼ヲシヤマンヘ山越通行いたし候」の上申書に、年間二千五〇〇人ほどがいて、箱館町五〇〇人、箱館在郷および六ヵ場所一千人、松前城下および在郷三〇〇人、残りは江差と近在の者であったとある。多くの漁夫は西海岸の険阻なモッタ岬を避けて陸路をとり、蝦夷地と和人地の境の山越内やまこしない関所(現八雲町)で改めを受けて、西地の各鰊漁場に入っていた(前掲道路史)

幕府が蝦夷地を再び直轄地とすると、一八五六年(安政三年)クロマツナイに車馬の通じる新道を建設することになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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