脇本館(読み)わきもとたて

日本歴史地名大系 「脇本館」の解説

脇本館
わきもとたて

字涌元(わきもと)にあったと伝えられている中世の館。「新羅之記録」に記載されている道南十二館のうちの一つ。場所については不明だが、現在涌元小学校が建っている高台にあったと推定される。佐藤家系譜(中島家蔵)によれば、木古内(きこない)(現木古内町)の中野(なかの)館の館主佐藤季則の父季行が、宝徳二年(一四五〇)武田信広を慕って若狭から南部経由で蝦夷島に渡り、知内・脇本・小田西の三ヵ村の支配を認められ、脇本館主となったという。また「新羅之記録」によれば、康正三年(一四五七)コシャマインが蜂起し、攻め落されたときの館主は南条季継である。南条家譜(南条家蔵)では祖を平季継南条治部少輔、寛正四年(一四六三)没とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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