脇本村(読み)わいもとむら

日本歴史地名大系 「脇本村」の解説

脇本村
わいもとむら

[現在地名]日原町河村かわむら

野口のぐち村の西、湾曲する高津川沿いに位置し、集落は右岸の水口みぐちはらおきわて、左岸の風呂ふろえき下瀬しもせにある。慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦後に幕府領(石見銀山領)となり、同七年の検地高八六石余(「亀井家領郷村高帳」日原町史)。元和三年(一六一七)津和野藩領となる(「竹村丹後守引渡証文」亀井家記稿本)。寛永一四年(一六三七)の高一二一石余、田九町余・畑一〇町余(「検地帳」日原町史)。延宝八年(一六八〇)の村鑑(「青原手鑑」日原町立歴史民俗資料館蔵)によると家数二一(本百姓一一・無縁九・神主一)・人数一〇九、牛九・馬一、紙漉舟一四、大元森一・天神森一・水神森一・大日森一。


脇本村
わきもとむら

[現在地名]男鹿市脇本脇本

男鹿半島南頸部に位置し、日本海に南面する。海岸沿いに標高一〇メートル足らずの砂丘が東に続き船越ふなこし村と境する。西は生鼻おいはな崎が海中に断崖をなして突き出し、北は湿地を残す低地に水田が開け、大倉おおくら村と境する。

「三代実録」元慶二年(八七八)七月一〇日条に、元慶の乱に際し秋田城下で蜂起した蝦夷の「賊地」一二ヵ村の一として「腋本」があげられている。これは近世における脇本村を中心に、北のいい(現飯ノ町)飯森いいのもり村、百川ももかわ村まで広がる地域をさすものと考えられる。

戦国期に至り女川おながわに居住した安倍信家が脇本に移ったとされるが、信家は安東氏の一族であろう(秋田沿革史大成)


脇本村
わきもとむら

[現在地名]南郷町脇本

なか村の南西に位置し、脇元とも書いた(「日向地誌」「日向国史」など)。西と南は潟上かたがみ村。中村境から当村南東隅を通り、潟上川に架かる小田岬こだかの板橋を渡り潟上村外浦とのうら(地浦)に至る往還(外浦往還)、また小田岬板橋の北で同往還から分れ、潟上村を通り南西方の串間へ至る道(串間間道)などが通じていた。「日向地誌」によると古くは潟上村の一部であったが、慶安三年(一六五〇)中村に松田まつた堤を造成したのち、外浦の湾岸が干潟となって開拓が進み、延宝二年(一六七四)に潟上村から分村して一村になったという。しかし古今検地目録(日向国史)には慶長一〇年(一六〇五)の数値として高五二三石余・田畑屋敷四一町八反余と記されており、藩主伊東氏の入部当初すでに一村となっていたとも考えられる。


脇本村
わきもとむら

[現在地名]南条町脇本

北流する日野川左岸に位置し、北陸街道に沿い、宿場でもあった。南西は清水しみず村、北東は日野川を挟んで上平吹かみひらぶき村。脇本庄五ヵ村の一。地名は暦応四年(一三四一)七月日付得江頼員軍忠状(得江文書)に「正月廿九日、於鯖波・脇本・大塩致合戦忠節」「閏四月二日、押寄脇本并大塩」とみえ、南北朝両軍の合戦の舞台となっている。また「尋憲記」元亀四年(一五七三)一月二七日条に興福寺大乗院尋憲の従者が北国に下向した際の費用が記されているが、「弐百五十文しんたうより脇本まで」とみえる。


脇本村
わきもとむら

[現在地名]小野市脇本町

草加野そうかの台地のほぼ中央部平坦地の最高所(標高約一六〇メートル)に位置し、北の曾根そね村・上小田かみおだ村を見下ろす。集落は台地平坦部から東条とうじよう川左岸の丘陵麓の谷間に形成されている。慶長国絵図に「わいもと村」とみえる。初め姫路藩領、元和三年(一六一七)幕府領となったと推定される。寛延二年(一七四九)姫路藩領となり幕末に至る(寛延四年「酒井忠恭領知目録」酒井家史料など)


脇本村
わきもとむら

[現在地名]上磯かみいそ郡知内町字涌元わきもと

近世から明治初年までの村。知内村の南にあり、東側は津軽海峡に面した入江、西は山地に連なる丘陵地帯で、中央部を股瀬またせ川が流れている。知内村からは浜伝いに陸路が通ずるが、南の小谷石こたにいし村側は陸路が難所であったため海上交通がおもに使われた。

シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」の「松前より下狄地所付」に「わきもと 小舟 澗有」、「狄蜂起集書」に「脇本」などと記される。


脇本村
わきもとむら

[現在地名]桜井市大字脇本

初瀬川北岸、慈恩寺じおんじ村東部に所在。小字春日田かすがでん付近から縄文・弥生土器を検出、小字灯明田とうみようでんからは弥生時代中期の住居遺跡を発見。小字垣内かいと妙楽みようらく寺は融通念仏宗、山号なし。本尊阿弥陀如来像は室町時代の作で、頭部内に「天文七年四月吉日、源次 源四郎」の墨書銘が認められる。

慶長郷帳にみる村高一八〇・八五石。慶長五年(一六〇〇)織田有楽(長益)領。元和七年(一六二一)幕府領(代官中坊秀祐)となる。延宝検地で村高は二六〇・四五石となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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