日本大百科全書(ニッポニカ) 「脇田和」の意味・わかりやすい解説
脇田和
わきたかず
(1908―2005)
洋画家。東京生まれ。1923年(大正12)ドイツに渡り、30年(昭和5)ベルリン国立美術学校を卒業して帰国する。光風会展、帝展に出品。35年国家主導の帝展改組に反対して設立された第二部会展に出品、特選と昭和洋画奨励賞を受けるが、翌年同志と帝展を完全に離れて新制作派協会を結成。以後生涯にわたり、同会の中心として出品を続けた。55年(昭和30)日本国際美術展で最優秀賞、翌年第7回毎日美術賞と第1回グッゲンハイム賞国際美術展国内賞を受ける。ベネチアやサン・パウロのビエンナーレ展ほか海外展に出品、しばしば外遊する。東京芸術大学教授として後進を指導。また版画やコラージュの分野でも活躍。86年4~8月、脇田和展が神奈川と群馬の県立近代美術館で開催される。また91年(平成3)には長野県軽井沢(かるいざわ)町に脇田美術館が開館した。同年勲四等旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)受章。身近で親しいモチーフがよく馴化(じゅんか)された脇田絵画は、比類なく豊潤な交響詩的パラダイスを思わせる。98年文化功労者となった。
[小倉忠夫・柳沢秀行]
『『脇田和』(1954・美術出版社)』▽『『画集脇田和1960―1974』(1974・求龍社)』▽『『鳥』(1975・平凡社)』▽『『脇田和版画作品集』(1976・美術出版社)』▽『『脇田和素描集』(1982・朝日新聞社)』▽『『脇田和作品集』(1984・美術出版社)』▽『神奈川県立近代美術館・群馬県立近代美術館編・刊『脇田和展1986年』(1986)』