臨屯郡(読み)りんとんぐん(その他表記)Im-dun-gun; Rim-t`un-kun

日本大百科全書(ニッポニカ) 「臨屯郡」の意味・わかりやすい解説

臨屯郡
りんとんぐん

中国、漢の武帝朝鮮遠征によって紀元前108年に衛(えい)氏朝鮮が滅ぼされ、その結果設置された4郡の一つ。臨屯は衛氏朝鮮に服属していた国の名と一致し、おそらくその故地に置かれたものと考えられる。郡治は東(とうい)県にあり、15県を領した。その位置境域江原道から咸鏡(かんきょう)南道にかけての日本海側と推定されるが明確でない。濊貊(わいばく)族の住んだ地域とされる。前82年に楽浪郡に統合された。

[李 成 市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「臨屯郡」の意味・わかりやすい解説

臨屯郡
りんとんぐん
Im-dun-gun; Rim-t`un-kun

中国,漢の武帝が朝鮮に設けた4郡の一つ。元封3 (前 108) 年武帝は衛氏朝鮮国に侵入してこれを滅ぼし,その地に4郡を開設して朝鮮を直接支配した。臨屯郡はこのときおかれた郡の一つで,ほぼ現在の咸鏡道南部から江原道一帯を含む地域と解されており,その中心地についての比定定説をみないが,現在の江陵付近と考える説が有力。まもなく玄莵 (げんと) 郡とともに楽浪郡に併合された。史料によればこの地方の住民濊貊 (わいばく) 族が中心であったと考えられている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「臨屯郡」の解説

臨屯郡
りんとんぐん

前漢の武帝が前108年に設置した,朝鮮4郡の1つ
前82年廃止されて楽浪郡に統合された。その位置は,現在の元山付近と推定される。

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