古代中国の東北(旧満州)から朝鮮半島北東部にかけて居住していた民族の名称。〈かいばく〉ともよみ穢貊とも記す。濊貊という呼称には2義あって,一つは先秦の古典などに,しばしば濊とか貊という名称で現れるもので,彼らの習俗などについて最も詳細に記録した文献は《三国志》魏志の東夷伝である。この列伝の中に記されている夫余,高句麗,沃沮(よくそ)などの諸族を構成した主体は濊貊系とみられている。また,のちに朝鮮南西部に百済国が起こったが,その支配層は彼らの系統とみられている。前漢の武帝時代,前128年(元朔1),鴨緑江上流から佟佳江(とうかこう)流域方面に蒼海郡が設立されたが,当時この辺は濊貊系高句麗の支配下にあったので,設立後2年で廃止されている。
狭義の濊貊は,朝鮮半島の江原道から咸鏡道南部に居住していたもので,《三国志》魏志東夷伝所載の〈濊〉はそれにあたるとみられる。彼らの言語は,白鳥庫吉によればツングース系を主として,若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。彼らの生活形態は,前述の史料によれば狩猟,漁労,牧畜を主として,農耕も併せ行ったらしい。その社会組織には中国の影響も見られるが,いまだ全部族を統轄する最高権力者は出現せず,渠帥といわれる部落の長老が中国の間接支配下にあったようである。彼らの宗教は,10月の収穫時に天を祭って全部落が歌舞飲酒する(舞天)というシャマニズム的な特色をもつものであったことが記されている。
執筆者:村山 正雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
穢貉とも書く。濊や貊は『詩経』などの古典に中国東北部に住む民族として個々にみえるが、「穢貉」の語は『史記』に初めて現れる。濊の民族は、『三国志』の『魏志東夷伝』(ぎしとういでん)の濊条にその歴史と習俗が詳しく伝えられている。すでに紀元前2世紀後半には朝鮮半島の東海岸地帯に住み、前108年に漢の武帝が朝鮮に四郡を設置すると、臨屯(りんとん)、玄菟(げんと)の二郡に属し、やがて楽浪(らくろう)郡の支配下に入った。紀元後には漢の支配を離れて、3世紀前後には部族国家を形成した。漁労をおもに行い、海産物を郡県に献上した。彼らは山川を崇拝し、同姓は結婚せず、死者が出れば旧家を捨て新居を建てたという。また、濊貊を貊種族の総称と解する説もある。前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ)、高句麗(こうくり)、沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである。『日本書紀』では高句麗を貊(こま)とも表現しており、高句麗が貊族であることを示している。
[浜田耕策]
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