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自動車レース じどうしゃレース

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大辞林 第三版の解説

じどうしゃレース【自動車レース】

自動車のスピード・耐久性・経済性・技術性やドライブ-テクニックなどを競う競技の総称。カー-レース。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

自動車レース

決められたコースを周回し、速さを競う。最高峰のF1などのレース専用車と、スーパーGTのような量販車を改造した車があり、エンジン排気量などでクラスが分かれている。日本自動車連盟(JAF)の公認を受けたレースに出場するにはJAFが発行する国内Aライセンス以上が必要。2009年のJAFのライセンス保有者数は約4万5千人。

(2010-10-31 朝日新聞 朝刊 東海経済)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

自動車レース
じどうしゃれーす

自動車を走らせて行う競走全般をいう。モーターレーシングmotor racing(英語)、オートレースauto race(アメリカ英語)ともいい、また、自動車レースを中心とした自動車競技全般をモータースポーツmotor sportsと総称することもある。
 一定のルールのもと、同一コース上で2台以上の自動車を同時に走らせ、自動車の速度、操縦性、耐久性、経済性、ドライバーの操縦技術、精神力、体力などを競い合わせる競技で、人間の頭脳(自動車の設計、製作やレース中の作戦など)と肉体(操縦上の反射神経や忍耐力)とを100%駆使して行われる、もっとも現代的で、かつ高価なスポーツである。[高島鎮雄]

自動車レースの現況

ひと口に自動車レースといっても、それは実に多くの顔をもっている。まずレーシングカーづくりには、その時代の最先端をいく科学技術が駆使される。現代でいえばアラミド繊維やカーボンファイバーなどの新素材であり、エレクトロニクスであり、空気力学である。一方、それを操縦するドライバーには、最大限度の集中力と繊細さ、それに冷静さが要求される。時速300キロメートルで走れば、1秒間に83メートル、まばたきをする0.1秒間に8.3メートルが過ぎ去るから、1センチメートルのステアリングの誤差でも大事故を引き起こしかねない。ひとたび事故が起これば、自身の生命が危機にさらされるばかりでなく、いっしょに走る他のドライバーや観客を巻き込む危険性もある。したがって、幾多の試練を経て超一流のレーシングドライバーにのし上がった者は、欧米では多くの人々にとっての英雄的存在であり、少年たちはいつの日にか彼のようになりたいと願う。チャンピオンになったドライバーは、サッカー、ゴルフ、テニス、野球、ボクシング、レスリング、スキーなどのプロスポーツのチャンピオンたちと同等、あるいはそれ以上の人気とあこがれの的である。他のスポーツとは異なって、つねに死と背中合わせなので、当然ながら収入は多く、優勝すればたいへんな資産家になる。
 ローカルな自動車レースは自ら参加して楽しむアマチュア・スポーツだが、世界的な規模の大レースは、全世界の人々に大きな娯楽を与える完全なプロスポーツである。したがって、それを開催することは、観客の入場料収入やテレビの放映権収入などを目的とする興行といってよい。最近では一つのレースやレースシリーズに商品名をつけてしまう、いわゆる冠大会も珍しくない。レーシングカーをつくり、走らせるのは自動車会社の場合もあるが、多くは小規模なプライベートチームで、レーシングカーの製作費やドライバーの契約金、チームの運営費などはスポンサーからの資金によってまかなわれる。その結果多くのレーシングカーは商品のパッケージの塗装を施されたり、たくさんの商品のステッカーを張られて、走る看板のようになっている。自粛の申合せがあるのは、その性格上アルコール類をスポンサーとすることだけである。また現代の自動車レースでは、勝敗に対するタイヤの寄与率が高く、タイヤ戦争とさえいわれている。立場を変えれば、タイヤ・メーカーにとっては絶好の宣伝の場であり、各社は莫大(ばくだい)な予算を組み、優れたレーシングタイヤをつくり、各チームに無償で供給している。それはスパークプラグ、バッテリーなどの電装品メーカーなどについても同様である。
 このように、現代の自動車レースは、商業主義によって動かされる興行としてのプロスポーツになりきっているが、それを支えているのは、週末ともなれば世界中で無数に開催される小規模なアマチュア・レースであることも否定できない。そして人々を自動車レースへと駆り立てるものは、「速く走る機械があるから、それで競走しようとする」きわめて根源的な本能なのである。それは、実用的なガソリン自動車が完成されてからわずか9年後には、早くも自動車レースの萌芽(ほうが)が芽生えていることでも証明される。また、よく「自動車を発達させるために自動車レースが行われた」という論を説く人がいるが、これは主客が転倒している。確かに自動車レースは高回転で高出力のエンジン、軽く空力的なボディー、接地性や操縦性に優れた懸架(けんか)装置、強力なブレーキなどを生み出し、一般の実用的な自動車の発達に大きく貢献してきた。自動車レースがなかったら、われわれはいまだに、もっと低性能で安全性の低い自動車の使用を強いられているに違いない。しかしそれはあくまでも結果論であって、人々が自動車レースを行うのは、おもしろいからにほかならない。[高島鎮雄]

自動車レースの誕生

ドイツのゴットリープ・ダイムラーが史上初の実用的な自動車(木製二輪車)を完成したのが1885年のことであるが、それからわずか9年後の1894年、先見の明をもつピエール・ジファールが主筆を務めるフランスの新聞『プティ・ジュルナル』の主催で、パリ―ルーアン間126キロメートルで、自動車の速さと、信頼性、実用性を競う初めての競技会(トライアル)が開催された。同競技会の目的の一つは、自動車の原動機としてガソリンエンジン、蒸気機関、電気モーターなどがそれぞれ優位性を主張するなかから、何がもっとも理想的かを探し出すことにあった。結果はフランスのド・ディオン伯爵の乗るド・ディオン・ブートン蒸気自動車が6時間を要して、平均時速21キロメートルで1着になった。しかし同車は操縦士のほかに缶焚(かまたき)が必要で、簡便でないというので3着に落とされ、2着のパナール・ルバッソールと3着のプジョー(いずれもダイムラー特許のガソリンエンジンをもつ)に1等賞金が分かち与えられた。ガソリン自動車の優位性が立証されたわけで、ド・ディオン・ブートンもまもなくガソリン自動車に転向する。
 自動車競技のおもしろさに魅せられた人々は、翌1895年にはパリ―ボルドー―パリ間で史上初の本格的な自動車レースを開催したが、そのためにド・ディオン伯やジファールらが組織したのが今日のフランス自動車クラブ(ACF Automobile Club de France)である。同時に今日の国際自動車連盟(FIA Fdration Internationale de l'Automobile)や国際モータースポーツ連盟(FISA Fdration Internationale du Sport Automobile)の祖でもある。
 その後も1896年のパリ―マルセイユ―パリ、1898年パリ―アムステルダム―パリ、1899年ツール・ド・フランス(フランス一周自動車レース)、1900年パリ―トゥールーズ―パリ、1901年パリ―ベルリン、1902年パリ―ウィーンなど、公道を使った都市間レースが開催された。しかし、当時の地方の人々は自動車に慣れていないために、競技車両の通過する道路を埋め尽くして見物するというありさまで、事故は絶えなかった。とくに1903年のパリ―マドリード・レースは参加者にも見物人にも多くの死傷者を出し、ついにフランス政府はボルドーでレースを中止させ、以後公道上でのレースを禁じてしまった。
 そこでフランス自動車クラブは、1906年、フランス中西部ル・マン市郊外の公道を閉鎖してサーキット(周回コース)をつくり、一定のフォーミュラ(規格)のもとに、第1回のフランス自動車クラブ・グランプリ(大賞)・レースを開催した。都市間レースで多くの犠牲者が出たのは、一つには、参加車がより高い速度を求めて安全の限界を超えて大きく強力なエンジンを搭載したからであった。背が高く、安定が悪く、操縦性も制動力も低い車が時速100キロメートルで無舗装路を走ったのであるから、事故が起きないほうが不思議であった。フォーミュラはこの無法状態を収拾しようとするもので、1904年のバンダービルド・カップ・レース(アメリカ)で初めて用いられ、第1回フランス自動車クラブ・グランプリ・レースにも適用されたのは、車両重量1000キログラム以下というものであった。重さを制限すれば、大きなエンジンは積めないだろうと考えられたのである。以後フォーミュラ・レースとグランプリ・レースは同義語になって今日に至っている。
 しかし一つのフォーミュラを決めると、人々はその範囲内でふたたび安全限界を超えるほど強力で速い車をつくりあげてしまう。したがってまたフォーミュラを強化する、車が速くなる、というぐあいで、自動車は規則と技術の果てしない追いかけっこによって発達してきたといってよい。[高島鎮雄]

グランプリ・レーサー

各時代に活躍したおもなグランプリ・レーサーとしては、1900年代から1910年代にかけてフランスのルノーRenault、プジョーPeugeot、イタリアのフィアットFiat、ドイツのメルセデスMercedesなどがあった。1920年代の前半には、アメリカのデューセンバーグDuesenberg、フランスのバローBallot、フィアット、メルセデスなど、1920年代後半から1930年代初期にかけてはイタリアのアルファ・ロメオAlfa Romeo、フランスのブガッティBugattiなどがあった。1934年の新750キロフォーミュラからは、レースによる国威発揚をねらうナチの強力な後援を受けたメルセデス・ベンツおよびアウト・ウニオンAuto Unionのドイツ勢がヨーロッパのサーキットを席巻(せっけん)した。
 第二次世界大戦直後はまずアルファ・ロメオが圧倒的強さを示し、ついで同じイタリアのフェラーリFerrariがそれにかわったが、1954年の2.5リッター・フォーミュラではふたたびメルセデス・ベンツが王座に返り咲いた。1955年のル・マンの事故後メルセデス・ベンツが引退してからは、フェラーリ、マセラーティMaseratiのイタリア勢と、バンウォールVanwall、クーパーCooper、アストン・マーティンAston Martinなどのイギリス勢の角逐が続いた。1961年の1500ccフォーミュラ以後はイギリスのロータスLotus、BRM、クーパー、イタリアのフェラーリ、ドイツのポルシェPorsche、日本のホンダ(本田技研工業)などが参加、イギリス勢が圧倒的強さを示した。
 1966年には3000cc(過給1500cc)フォーミュラが施行され、イギリスのロータス、BRM、クーパー、ブラバムBrabham、マクラーレンMcLaren、ティレルTyrell、マーチMarch、ウィリアムズWilliams、フランスのリジエLigier、イタリアのフェラーリ、アルファ・ロメオ、日本のホンダなどが活躍している。1977年にはフランスのルノーがターボチャージャー付き1500ccのマシーンでフォーミュラ1(F1)に挑戦、かなりの戦力をみせたところから、しだいにターボチャージャー付き1500ccに転向するチームが増え、1986年からはF1はそれのみになり、3000ccは廃止された。しかしターボチャージャー付き1500ccでは出力があがり過ぎ、安全が保てなくなった結果、現在はふたたびターボなし10気筒の3000cc以下となっている。[高島鎮雄]

ワールド・ドライバーズ・チャンピオンシップの誕生

1951年、得点制(1位9点、以下6、4、3、2、1点)で年間最多得点ドライバーに与えるワールド・ドライバーズ・チャンピオンシップの制度が発足した。ドライバーでは1985年までの35年間に、5回(1951、1954~1957)チャンピオンになったアルゼンチンのファン・マニュエル・ファンジオが最多で、4回のフランスのアラン・プロスト(1985、1986、1989、1993)、3回のオーストラリアのジャック・ブラバム(1959、1960、1966)、イギリスのジャッキー・スチュアート(1969、1971、1973)、オーストリアのニキ・ラウダ(1975、1977、1984)、ブラジルのアイルトン・セナ(1988、1990、1991)がそれに続く。
 以上述べたフォーミュラ1(F1)のレースのほかに、F3000(8気筒、無過給3000ccまで)、F3(無過給の4気筒2000ccまでの量産エンジン)のレースもあり、F1の前座レースとしてイベントをサポートするとともに、若手ドライバーの登竜門の役目を果たしている。さらに同様のフォーミュラ形式ではあるが、イギリスのフォーミュラ・フォード、アメリカの有名なインディアナポリス500マイル・レースを含むACCUS・PPGシリーズのように、各国にそれぞれ独自のナショナル・フォーミュラがある。[高島鎮雄]

スポーツカー・レース

グランプリ・レースにフォーミュラが導入され、それに参加する車も人も専門化されると、ふたたび一般の実用車でレースをしようという動きがおこってきた。その結果1910年ごろには、実用車のエンジンをやや強力にし、車体を軽くして、いわゆるスポーツカーが生まれ、それによるスポーツカー・レースも行われるようになった。なかでもっとも有名なのは、毎年6月にフランスのル・マンで行われる、ル・マン24時間耐久レースで、第1回は1923年に開催されている。主催者フランス西部自動車クラブ(ACO)の同レース開催の主旨は、当時の自動車の暗い前照灯と信頼性の低い電気系統を改良するためには、一昼夜のレースをするのが最適であろう、ということであった。そのため第1回のレースは、コーナーごとに配置されたフランス陸軍の車載探照灯のもとで行われた。また2000cc以上の車には4人乗りが義務づけられ、当時のスポーツカーはほとんどがオープンであったが、24時間中2時間は幌(ほろ)を上げて走らなければならない規則になっていた。
 このようにスポーツカー・レースのねらいは実用性と信頼性の向上にあったから、比較的短距離で速度を追求するグランプリ・レースに対して、長距離での耐久レースの性格が強い。今日ではスポーツカーによる世界的なチャンピオンシップとして、スプリント(短距離)レースを含むSWC(スポーツカー世界選手権)があり、F1のワールド・ドライバーズ・チャンピオンシップ、ワールド・ラリー・チャンピオンシップ(WCR World Championship for Rally)とともに世界のモータースポーツの頂点をなしている。F1のチャンピオンシップがドライバー主体であるのに対し、WSCはメイクス(会社)を対象としていることも、レースの性格を表している(F1にもメイクス・チャンピオンシップはあるが二義的なものである)。このほか、連続した12か月間に2500台以上同一のものを生産した実用車、グループAによるツーリングカー・レースも盛んで、それには世界的規模のツーリングカー選手権(TCC Touring Car Championship)がある。この種のレースは日本でも急速に普及してきた。日ごろ町で見慣れた車によるレースであるだけに親しみがあり、また市販車の性能が直接比較される興味もある。[高島鎮雄]

日本の自動車レース

日本では一部の好事家により、かなり古くからレースが行われており、1936年(昭和11)には東京の多摩川河川敷にスピードウェーが建設され、その後何度かアマチュアによる改造レーシングカーのレースが行われた。しかし第二次世界大戦で中断、戦後は自動車レースといえばギャンブルのオートレースをさす時代が続いた。
 1963年(昭和38)三重県鈴鹿(すずか)市に日本初の国際級のレーシング・サーキット、鈴鹿サーキットが完成し、急速にレース開催の気運が高まった。同年5月3日には同サーキットで第1回日本グランプリが開催され、翌1964年にも第2回が行われた。1966年には静岡県駿東(すんとう)郡小山(おやま)町に富士スピードウェイが建設され、そこで第3回から5回までの日本グランプリが開かれた。この時代のレースはアマチュアの間から自然発生的に沸き起こってきたというより、宣伝効果をねらう自動車メーカーどうしが激突するという形で行われた。それでもなお、日本グランプリが国産車の性能向上に果たした役割はきわめて大きかった。
 1960年代末に排出ガス規制問題が起き、それへの技術的対応で、どのメーカーもレースどころではなくなり、さらに73年の石油危機がそれに追い討ちをかけた。その結果日本の自動車レースは、アマチュア・スポーツとして一から出直すことになった。この間、興行としてアメリカからよばれた日本インディー(1966)、日本カンナム(1968)やF1グランプリ(1976、1977)なども刺激となり、日本の自動車レースもしだいに根づいていった。その結果、F2、FJ(フォーミュラ・ジャパン)、日本独特の流線型車体をもつ2000ccレーシングカー(グラン・チャンピオンシップ)、グループAツーリングカーなどのシリーズ戦も行われた。鈴鹿、富士のほかにも栃木県の茂木(もてぎ)、茨城県の筑波(つくば)、宮城県の菅生(すごう)、山口県の西日本、北海道のスピード・パークなどに中小規模のサーキットがあり、週末ともなれば大小さまざまなレースでにぎわっている。[高島鎮雄]

ルール変更

F1のエンジン規定は、2006年から2400cc以下、V型8気筒となっている。F1のポイント規定は2005年から1位10ポイント、2位8ポイント、3位6ポイント、4位5ポイント、5位4ポイント、6位3ポイント、7位2ポイント、8位1ポイントとなった。[編集部]

その後の動き

F1のドライバーズ・チャンピオンは、1994年から2004年の間に7回の優勝をしたドイツのミハエル・シューマッハが最多記録保持者となっている。
 2005年シーズンから国際F3000選手権はGP2となっている。日本では、1996年に全日本F300からフォーミュラ・ニッポンへと変更になっている。
 スポーツカー世界選手権(SWC)は1992年に終了している。[編集部]
『ウォーカリー著、正田義彰・佐藤猛郎訳『オートモビル・レーシング』(1975・二玄社) ▽檜垣和夫著『F1最新マシンの科学』(2000・講談社)』

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