至徳寺跡(読み)しとくじあと

日本歴史地名大系 「至徳寺跡」の解説

至徳寺跡
しとくじあと

[現在地名]上越市東雲町二丁目

信越本線直江津駅の南側、曹洞宗徳泉とくせん寺境内およびその付近一帯が跡地で、礎石・五輪塔・宝篋印塔・陶器・かわらけ・磁器・瓦・石臼などの中世遺物が出土している。至徳寺は臨済宗寺院で、「翰林葫蘆集」に「越之後州聖寿山至徳禅寺開山始祖仏印大光禅師慈容」とある。仏印大光禅師は通称僧可あるいは久庵といい、越後守護上杉憲将の子。僧可は父の遺命をうけ、一八歳で出家して鎌倉建長寺に入った。二五歳の時中国に渡り一〇年の修行を終えて帰国。その後父の菩提を弔うため府中ふちゆう一宇を建立して至徳寺と号した。至徳年間(一三八四―八七)をあまり下らない時期であったろう。僧可四二歳前後のことである。のち僧可は鎌倉の円覚寺・建長寺の住持となった。応永二四年(一四一七)七五歳で死去(上杉系図大概)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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