臼田村(読み)うすだむら

日本歴史地名大系 「臼田村」の解説

臼田村
うすだむら

[現在地名]臼田町大字臼田

西方は北八ヶ岳の裾が丘陵状の山並をなして平野に迫り、東方は千曲川が北流し、その間に佐久平が北方に広がりをましていく。町の南にたつ比高約五〇メートルの稲荷いなり山は、佐久平の南の頂点をなしている。東は千曲川境下越しもごえ村・上中込かみなかごみ村と相対し、西は取手とりで村・本新町ほんしんまち(現佐久市)に接し、南はじよう山の峰をもって勝間かつま村と、井堰畦畔をもって下小田切しもおたぎり村と境し、北は高柳たかやなぎ村・鍛冶屋かじや村と接している。

嘉暦四年(一三二九)鎌倉幕府下知状案(守矢文書)の諏訪社上社五月会・御射山頭役等結番定に「左頭佐久郡伴野庄内桜井・野沢・臼田郷丹波前司跡」とある。同年の諏訪大社上社の大宮御造栄之目録にも「玉垣一間半 臼田」とある。大徳寺文書によれば、元弘三年(一三三三)後醍醐天皇は佐久郡伴野ともの庄内臼田原うすだはらを大徳寺に安堵したが、建武元年(一三三四)臼田原郷を誤って玉井為直に宛行い、訴えによって、玉井には替地を授けて同郷を大徳寺に安堵している。


臼田村
うすだむら

[現在地名]椎田町臼田

椎田村の西に位置し、極楽寺ごくらくじ川が岩丸いわまる川に合流する地点の東岸平地に立地する。天文四年(一五三五)六月一六日の大内義隆預状(吉川家文書/大日本古文書一)によれば、大内義隆は吉川次郎三郎(興経)に城井左衛門尉跡地の「豊前国築城郡高塚、旧田両庄」のうち一二町五代ほかを預けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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