日本歴史地名大系 「臼間野庄」の解説
臼間野庄
うすまののしよう
現南関町一帯を占めていた荘園と考えられる。「事蹟通考」は
大津山関はすでに「平家物語」に記されるが、「吾妻鏡」建長二年(一二五〇)三月一日条に所載の造閑院殿役注文に臼間野太郎の名がみえる。文保二年(一三一八)五月二六日の木当行信和与状(河上神社文書)に「臼間野上長田地頭」の木当六郎入道行信の名がみえ、庄という表現はみられないが、おそらく臼間野庄上長田の地頭の意であろうか。鎌倉中期までに当庄は成立していたものと思われる。本家・領家などについてはいっさい不明。なお元亨元年(一三二一)三月三日の阿蘇社進納物注文写(阿蘇家文書)には、一七ヵ所の「田つくりの御まつりれうそく」を出す地名があげられており(いずれも玉名郡)、そのなかに「一所
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報