興善院(読み)こうぜんいん

日本歴史地名大系 「興善院」の解説

興善院
こうぜんいん

[現在地名]鹿島市古枝字中尾

浜川の河口より約四キロ上流、中尾なかお橋の近くにある。松寿山と号し、曹洞宗本尊は聖観世音菩薩。

元亀二年(一五七一)竜造寺隆信蒲田江かまたえ城攻撃に敗れ筑後に流浪していた犬塚鎮家が、天正四年(一五七六)隆信に召されて横造よこぞう城攻撃の先陣となり軍功をたて、鹿島に来て僧心叟を開基菩提寺として建立。鎮家は法名を興善院殿心月宗哲居士と称する。鎮家の墓は五の宮ごのみや神社の裏に夫人の墓とともに五輪塔として残る。

興善院の末寺として、一キロばかり上にのぼった中尾の藤瀬ふじのせに地蔵堂がある。「鹿島志」に「古田村(古江田村)の南の中尾山に興善院あり。往歳彼の寺の僧地蔵菩薩の古像を隣邑七浦に得、寺の辺藤瀬の地に就いて小堂を創めて之を安泰す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む