日本歴史地名大系 「興徳寺跡」の解説 興徳寺跡こうとくじあと 石川県:輪島市旧輪島市地区興徳寺村興徳寺跡[現在地名]輪島市三井町興徳寺興徳寺村の村名由来となった曹洞宗寺院。当寺の寺跡を継承した竜門(りゆうもん)寺(現七尾市)の貞享二年寺社由緒書上によると、開創年代は不明だが総持寺塔頭普蔵(ふぞう)院の直末寺として成立したという。室町期には能登守護畠山氏の外護を受け、永正一二年(一五一五)三月一六日、畠山義元が興徳寺の喜叟に三井中村の古坊正力谷(ふるぼうしようりきだに)と中村館分を寺領として寄進し(「畠山義元判物」竜門寺文書)、同年七月二一日、寺領(三井中村分)を諸役免除としている(「畠山義元判物」同文書)。 興徳寺跡こうとくじあと 和歌山県:和歌山市河南地区鳴神村興徳寺跡[現在地名]和歌山市鳴神花(はな)山の西麓に位置したが、現存しない。「続風土記」は、草創は文保(一三一七―一九)頃で、開山は京都大徳寺二世の徹翁、妙鶴山興徳寺と号し、禅宗であったという。かつては本堂・庫裏・鐘楼・塔・山門・浴室などを配し、子院一二坊・末寺二一ヵ寺を有したが、天正一三年(一五八五)の羽柴秀吉の紀州攻めによって焼亡し、以後廃絶したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報