鎌倉末期の仏書。曹洞(そうとう)宗の太祖(たいそ)と称される瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が、1300年(正安2)正月11日から約1年間にわたり、加賀(石川県)の大乗寺で、門下の諸僧に対して正伝の仏法の道統を提唱したものを、侍者が編録した。漢文、片仮名の混淆(こんこう)体で記される。この種の語録としては珍しく、曹洞宗では、高祖(こうそ)道元(どうげん)の主著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』と並んで、根本宗典として重要視されている。原本は散逸し、写本が20余種現存する。
[東 隆眞]
『石川素童提唱『伝光録白字弁』(1925・大本山総持寺)』▽『東隆眞校注『乾坤院本伝光録』(1970・隣人社)』
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…道元に始まる正伝の仏教が曹洞宗とよばれるのは,永平3世の義介が,すでに京都や博多に定着している臨済禅に対して,あらためて自派の伝統を確認し,これを紹瑾(じようきん)に伝えたことによる。紹瑾は能登に洞谷山永光寺を開き,如浄以来の伝統を再編して五老峰をつくるとともに,仏陀より懐奘に至る伝灯を記す《伝光録》を編するのであり,日本曹洞宗の伝統はここに確立される。日本曹洞宗は道元を高祖とし,瑩山紹瑾を太祖とよんでいる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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