デジタル大辞泉 「竜門寺」の意味・読み・例文・類語 りゅうもん‐じ【竜門寺】 秋田県由利本荘市にある曹洞宗の寺。山号は、禅勝山。開創は元中9=明徳3年(1392)。開山は青岑珠鷹。開基は岩城朝義。亀田藩岩城氏の菩提寺。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「竜門寺」の解説 竜門寺りゆうもんじ 福井県:武生市府中町京町竜門寺[現在地名]武生市本町群玉山と号し、曹洞宗。本尊阿弥陀如来。正安元年(一二九九)境岩の開創という。大永二年(一五二二)八月二二日には竜門寺住の瑞安が、越知山大谷(おおたに)寺(現福井県朝日町)に府中上市(ふちゆうかみいち)(現武生市)の宗順なる者から買得した田地を造営料として寄進している(越知神社文書)。天正元年(一五七三)朝倉氏滅亡後一時中絶し、同一六年府中城主木村常陸介によって再興されるまで一時中絶したが、この間幾多の武将が当寺を居館として、竜門寺城とよばれた。 竜門寺りゆうもんじ 石川県:七尾市小島村竜門寺[現在地名]七尾市小島町曹洞宗。瑞雲山と号し、本尊釈迦如来。能登総持寺五院の普蔵(ふぞう)院直末で、もと七尾城下に所在した。能登守護畠山義元の菩提寺であった三井(みい)(現輪島市)の興徳(こうとく)寺が退転した折、総持寺の評議によって竜門寺を興福寺と改称し、興徳寺伝来の法衣・文書などを相伝したが、のち再び竜門寺に復するようになったという(貞享二年寺社由緒書上)。弘治二年(一五五六)七月二八日、温井・三宅一党の反乱によって七尾籠城中の畠山義綱が当寺住持に他国に使僧として馳走した恩賞として、直海(のうみ)村(現志賀町)のうち宝泉(ほうせん)寺領左京・アセチ分を寄進しており(「畠山義綱寺領寄進状」寺蔵文書)、天正七年(一五七九)五月二七日には徳田佐渡守秀章・同松犬丸が住持の崇悦に徳田(とくだ)(現同上)の田地一〇〇刈(年貢四俵)を寄進している(「徳田秀章同松犬丸田地寄進状」同文書)。 竜門寺りゆうもんじ 大分県:玖珠郡九重町辻村竜門寺[現在地名]九重町松木 竜門寺宝(たから)山(八一五・七メートル)の南東、松木(まつぎ)川右岸にある。傍らに竜門の滝がみられる。黄檗宗、山号は吉祥山。本尊は聖観音で、像銘によると享保元年(一七一六)竜門寺本堂の本尊として造立された。願主は中興一世譲亮堂。施主は中世以来当地の在地領主であった松木氏の末裔松木弘忠で、仏師は京都仏師友学であった。寛元四年(一二四六)来日した蘭渓道隆は鎌倉への東上の途中当地に至り、その景観・瀑布が中国河南省の竜門に類していたので、しばらく錫をとどめて一宇を創建し、竜門寺と名付けたと伝える。中世には法寿(ほうじゆ)院・秦光(しんこう)寺・洞口(とうこう)院・白牛(はくぎゆう)院・宋鏡(そうきよう)寺・放光(ほうこう)寺・大禅(だいぜん)寺など一二の末寺があり、松木川下流右岸の瑞巌寺(ずいがんじ)史跡もその末寺の付属史跡という。 竜門寺りゆうもんじ 秋田県:由利郡岩城町天鷺村竜門寺[現在地名]岩城町赤平 向山亀田(かめだ)町の北にあたり、後ろに小山を負い、前は衣(ころも)川。亀田藩主岩城氏の菩提寺。曹洞宗、禅勝山と号し、本尊は釈迦牟尼仏。明徳三年(一三九二)岩城朝義が奥州磐城郡(現福島県)に開基、岩城氏の移封により寛永五年(一六二八)亀田に移された。寺領として「五ツ高六十石」が与えられた(「竜門寺記録」県立秋田図書館蔵)。 竜門寺りゆうもんじ 愛知県:渥美郡田原町田原城下竜門寺[現在地名]田原町田原 新町蔵王山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。永正一五年(一五一八)天庵の開山と伝える。天庵はもと蔵王(ざおう)山中腹にあった密乗の明海が行法の霊場明海(めいかい)庵に住持したが、享禄年中(一五二八―三二)に転宗して一山を整備した。天文一六年(一五四七)田原を攻略した今川義元より寺領三貫文の寄進状を受け、同二二年に同じく義元より改めて寺領三貫六〇〇文の寄進状を受けた(田原近郷聞書)。 竜門寺りようもんじ 長野県:飯田市島田村竜門寺[現在地名]飯田市松尾島田(しまだ)村の北西に立地。臨済宗妙心寺派、瑞雲山と号す。本尊は聖観音。「伊那郡神社仏閣記」によれば、元亀年中(一五七〇―七三)、妙心寺の文寂の開山と伝えている。松尾城主小笠原信貴の法号「竜門院殿高嶺宗賢大居士」から寺号が付けられたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by